norimakihayateの日記

バーチャル旅日記からスタート。現在は私の国内旅行史に特化しています。

2015-01-01から1ヶ月間の記事一覧

霧の摩周湖

昨日も一駅分、南弟子屈から次の摩周まで到達した。 摩周は嘗ては弟子屈という駅だった。私が大学時代に初めて行った時もそうだった。観光振興の為に改称されたのは1990年との事だ。 摩周湖は霧の摩周湖と冠が付くほど、霧が多いらしい。私が訪れた時も…

阿寒に果つ

昨日は磯分内から一駅進んで、南弟子屈まで到達した。 学生時代の北海道旅行では釧路から観光バスに乗ってまずは阿寒湖を目指した。確かペンケトー、パンケトーという小さい湖が途中にあった筈だ。元は阿寒湖と同じ湖だったのが、火山活動で分断されたような…

ブルースハープとブルース

昨日は標茶(しべちゃ)から磯分内(いそぶんない)までの一駅分だけ進んだ。 吉田拓郎を真似て、ブルースハープをギター演奏の間奏の部分で吹くというのを始めたのは、一浪した予備校生の時代だったと思うのだが、大学に入って軽音楽系のサークルに入って、…

クロマティックハープとブルースハープ

昨日は五十石を出て、次の標茶(しべちゃ)まで到達した。 相変わらず自分の音楽史を続ける。 フォークギターとの出会いの次に挙げるとすれば、ハーモニカ、ブルースハープかも知れない。 そもそもハーモニカは、私達の世代では学校教育用楽器の代表だった。…

DREAM A LITTLE DREAM OF ME~私の小さな夢

昨日は塘路から茅沼を過ぎ、五十石まで到達した。 大学に入って、入会したサークルは名前にフォークソングというのを冠していたものの、実態はまさしく軽音楽系というのがふさわしいサークルだった。部室の隣が軽音研といって、まさにその名を使っていたので…

はじめてのフォークギター

昨日は細岡から一駅だけ進んで塘路(とうろ)というところまでやって来た。 ガットギターはカルカッシ教則本から始めて中学時代は主にクラシックの曲を練習していたが、中学後半から高校生にかけてはアメリカのカレッジフォークに端を発してフォークブームが…

コード進行と楽曲伴奏

昨日は遠矢から釧路湿原を通過し、次の細岡というところまで来た。 ピアノでポップスを弾くことを覚え始めた頃、一緒に練習していたギターでもコードを憶え、それを使って歌の伴奏をすることが出来るようになる。そうなると、ピアノでもコードさえ判れば、楽…

ピアノでポップス

学生時代の北海道一人旅では、釧路からはおそらくは国鉄運営の観光バスで阿寒湖へ向かった筈だ。ルートは国道240号ではないかと思うのだが、歩数を距離に変換することが出来ないので、東釧路まで行って、根室本線から釧網(せんもう)本線に乗り換えて網…

ろばた焼の街

昨日は大楽毛から出て、新大楽毛、新富士を通過して、いよいよ釧路に到達した。 久々に学生時代の北海道一人旅に戻ることになる。襟裳岬を観た後、帯広ユースホステルに一泊し再びJRの根室本線に乗り込んで、降り立ったのは釧路駅だった。ここからは阿寒湖…

音楽一家

昨日は庶路から出発して、隣の大楽毛(おたのしけ)まで到達した。 ギターを弾くようになって、当面の目標はギター弾きなら誰もが通過する禁じられた遊びのテーマと、ギター弾きなら誰もが挑戦したいと思うアルハンブラ宮殿の想い出だった。禁じられた・・・…

ギターとの出会い

昨日は14000歩超えをして、根室本線上では古瀬から白糠(しろぬか)、西庶路(にししょろ)と過ぎ、庶路駅まで到達した。久々に複数駅をこなした。 中学に入った時には親から油絵用の道具を一揃え購入して貰って、部活として美術部に入部したのだが、美…

人生最初の楽器

昨日は音別から一駅分だけ、隣の古瀬まで到達した。 自分の音楽史だが、今度は楽器について少し触れてみることにする。生涯最初の楽器になったのは、古い縦置きピアノだ。何時から我が家にあるのかは判らないが、物覚えがついた頃には既にあった。アメリカ製…

音楽媒体変換機

昨日は直別(ちょくべつ)から出発して尺別(しゃくべつ)を過ぎ、音別(おんべつ)まで到達した。三つ連続で~別という駅を通過したことになる。 自分の音楽史ということで、オーディオ機器との関わりについて書いてきたが、この辺で終りにしようかと思う。…

日本での野外コンサート

昨日は上厚内から出発して厚内を過ぎ、その次の直別(ちょくべつ)まで到達した。 昨日はアメリカで行われた音楽フェスティバルについて触れたが、日本でも似た様なものが幾つかあった。中に思い出深いものが二つある。しかし、その二つ共私自身は参加はして…

ラジオを通じて垣間見ていた洋楽の世界

昨日は浦幌を出て、上厚内まで到達した。 以前にも書いたが、60年代から70年代に移行する頃、音楽の中心はヨーロッパからアメリカに移っていった。60年代ではイタリアがサンレモ音楽祭やユーロビジョンコンテストで音楽界を仕切っていたのだが、この音…

ステレオカセットデッキ

昨日は新吉野から一駅先の浦幌まで辿り着いた。この所、一駅ずつしか進めない。 自分だけのコンポーネントステレオを初めて持った際には予算が足りなくて、プリメインアンプとチューナーとレコードプレーヤーまでしか買えなかった。その頃からラジオでもFM…

サイドフォースキャンセラー

昨日は豊頃を出て、次の新吉野という所まで到達した。 昨日、サンスイの4ch対応プリメインアンプを自分の最初のコンポーネントステレオとして購入したと書いた。その際に、その機器はCD-4システムにも対応していたと書いたのだが、これには若干の誤りがあ…

初めてのコンポーネント・ステレオ

昨日は池田から次の十弗(とおふつ)を過ぎ、豊頃(とよころ)まで到達した。 70年代になると、オープンリールテープデッキからカセットテープデッキへの移行と並行して、ステレオハイファイセットからコンポーネントステレオへ主流が移ってゆく。我が家の…

懐かしのテレビドラマ主題歌

昨日は幕別から利別を過ぎ、次の池田まで到達した。 昨日はオープンリールデッキからカセットデッキへの移行について触れた。この事が私の音楽人生の中に或るひとつの事をもたらした。それはテレビドラマの主題歌蒐集である。 私が生まれた頃にテレビ放映が…

オープンリールからカセットの時代へ

昨日は稲士別を出て、隣の幕別まで到達した。 帯広から釧路へ向かったのだが、この間については延々と続く広野とポプラ林の車窓の風景ぐらいしか記憶にない。そこで再び、私の音楽史に戻ることにする。 70年代になって一般人が使う録音機器はオープンリー…

愛国から幸福へ

昨日は帯広を出て札内を過ぎ、稲士別までやってきた。 大学時代の北海道一人旅の時は、帯広からは釧路に向けて出発した筈なのだが、ふと思い出したことがある。幸福駅というのをわざわざ訪れたということだ。その当時、既に幸福駅というのは有名になっていた…

えり~もの~春~は・・・

昨日は大成を出て、西帯広、柏林台(はくりんだい)を過ぎ、漸く帯広までやってきた。 帯広は学生時代の北海道独り旅の際に、様似からバスに乗り、襟裳岬を観た後、再びバスでやってきて宿泊した北海道の中では都会とも言える街だったと記憶している。今日は…

カレッジエースとウェス・モンゴメリー

昨日は御影から芽室と過ぎ、大成を越えた。 我が家に大型ステレオハイファイセットがやって来た頃、これとは別に画期的なオーディオ機器を買って貰った。オープンリールのテープデッキである。メーカーは確か東芝で、通称をカレッジエースと言ったように思う…

ステレオ・ハイファイセット

昨日は十勝清水から羽帯(はおび)を過ぎ、御影の先まで来た。 我が家の卓上ステレオプレーヤーは4、5年ほど使ったところで更新されることになる。途中、ベルトドライブ方式のターンテーブル駆動のベルトが切れ、何か適当なゴム紐を捜してきて挿げ替えたり…

4枚タッタの200円・・・

昨日は新得を出て、根室本線に沿って次の十勝清水を越えるところまで来た。 我が家に最初に卓上のステレオレコードプレーヤーがやってきて、姉は最初のLPレコードとしてサウンドオブミュージックのサントラ盤を買って貰ったのは既に書いた。親は、小学館の…

小学館版 世界の音楽全集

昨日、漸くトマムの次の駅、新得に到達した。ここで石勝線は終点となり根室本線に入ることになる。日高本線上でも終点の様似に到達した。 さて、昨日は我が家に最初にやってきたレコードプレーヤーを紹介したが、そのプレーヤー導入直後に、掛ける物として我…

最初のプレーヤーと最初のレコード

トマムを出てから三日目になるが、まだ次の駅へ届かない。34kmという駅間距離はなかなかのものだ。日高本線では鵜苫(うとま)、西様似(にしさまに)まで過ぎて終点の様似まであとちょっとだ。 今日紹介するのは我が家にやってきた最初のレコードプレー…

亀&あんこうのオールナイト・ニッポン

昨日もちゃんと1万歩超えしたのに、やはりトマムの次の駅まで届かなかった。日高本線上では、日高幌別まで到達した。 今日の画像は卓上真空管ラジオの次に使うようになった、ソリッドステートラジオに似ている物の画像だ。ソニー製だったので同じものかも知…

スカーボロフェア・サイモンとガーファンクル

昨日はちゃんと1万歩を超えたのだが、トマムから次の駅まで到達出来なかった。1駅区間が34kmもあるせいだ。日高本線のほうでは本桐から荻伏、絵笛と過ぎた。 今日の話題は中学から高校の頃に愛読していた音楽誌、ミュージックライフについて。全米ヒッ…

永遠の恋人・・・

昨日は元旦ということもあって、客の接待に追われ、とうとう1万歩を達成出来なかった。しかし一昨日の大晦日には1万3千歩超えしているので、二日で約2万歩ということになる。石勝線では一駅、占冠から隣のトマムまで来た。日高本線では、本桐まで到達し…