norimakihayateの日記

バーチャル旅日記からスタート。現在は私の国内旅行史に特化しています。

私のテレビライフ アクション刑事ドラマ発祥の昭和40年代後半

 昭和40年代は青春学園ドラマが花盛りだった時期だが、40年代後半に入ると新しい潮流が沸き起こってくる。それがアクション刑事ドラマでその代表格だったのが1972年に始まった「太陽にほえろ」だろう。それまで刑事ドラマと言えば昭和30年代の「七人の刑事」の泥臭い地味なイメージが強かったのが、この「太陽にほえる」で一変した。現実の警察社会を一切無視して強烈なエンタメ性のある世界を作り上げたとも言える。

 萩原健一松田優作といったアクの強い俳優の登用というのもあるだろうが、強烈なイメージを作った井上堯之バンドによるインスツルメントのテーマ曲の影響も大きかったような気がする。

 井上堯之バンドによるインスツルメントのテーマ曲と言えば同じように強烈なイメージを作り上げたものに「太陽にほえろ」から2年遅れて放映が開始された「傷だらけの天使」がある。こちらは正確には刑事ドラマではなく探偵ドラマということになるのだろうが、路線としては同じテイストだった気がする。

 

私のテレビライフ 青春学園ドラマの昭和40年代 俺は男だ

 「青春とはなんだ」に始まった青春学園ドラマは村野武範の「飛び出せ青春」、その続編的な中村雅俊の「われら青春」と続いていくのだが、いずれもラグビー部かサッカー部を新任男性教師が率いていくというストーリー立てで主人公に対し密かな淡い恋心を抱く女性教師とのロマンスも交えた作りになっていた。

 これに対し若干作りの異なる青春学園ドラマも作られるようになる。それが後に千葉県知事となる森田健作が主演をつとめた「俺は男だ」だった。このドラマから教師対生徒達という関係から生徒同士が主人公で淡いロマンスも交えるという作りになる。森田健作の相手役は早瀬久美という新人に近い女優だったが当時はかなりの人気を博した。役中で森田健作が相手役を大声で呼ぶ「ヨシカァークン!」という台詞が当時よく物真似されていた記憶がある。扱われたスポーツもラグビーでもサッカーでもない剣道というものだった。これはその数年前に作られたスポコン物の「柔道一直線」の流れを汲んでいる。「柔道一直線」では主役の桜木健一に相手役として吉沢京子が同級生役を演じていたがこの二人の淡いロマンスも人気を呼んでいた。ただ「柔道一直線」はスポコンドラマの色が強く、一連の青春学園物とは一線を画していた。一方の「俺は男だ」のほうは剣道というスポーツを扱ってはいるもののスポコン色は殆どなかったように感じた。

 「われら青春」ではラグビー物の教師対生徒に戻っていくのだが、中村雅俊島田陽子の主演コンビは時代と共にますますロマンス性が強くなっていった気がする。

 

私のテレビライフ 青春学園ドラマの昭和40年代 これが青春だ

 青春学園ドラマ「青春とはなんだ」は私の姉より上の世代に絶大な人気を博したようだった。放映が終了するとその人気にあやかって二匹目の泥鰌を狙った同じテイストの番組が作られた。それが当時まだ新人だった竜雷太が主演を演じた「これが青春だ」だった。

 タイトルも主題歌も前作の「青春とはなんだ」に対してアンサーの形になってた。ストーリーも田舎の学校に赴任してくる海外帰りの青年教師で、新設運動クラブの顧問になる。違っていたのはラグビーがサッカーに変ったことぐらいだろう。のちに「サインはV」でブレイクする岡田可愛やのちに加山雄三と結婚する松本めぐみなども出演していた。

 この番組もそこそこヒットして、これの続いて更に同じ竜雷太の主演で「でっかい青春」、村野武範主演の「飛び出せ青春」など似たようなテイストの青春学園ドラマが次々と作られていくことになる。

 

私のテレビライフ 青春学園ドラマの昭和40年代 

 昭和40年代には青春学園ドラマがシリーズ化され次々と作られていった。私は当初はドストライクの年齢ではなかったが、二つ上の姉が最初に観始めたのだったと記憶している。最初のものは夏木陽介が主演だった「青春とはなんだ」だった。アメリカ帰りの青年教師が田舎の学校に赴任してきてラグビー部を立ち上げるという物語だったと思う。このドラマで初めてラグビーというスポーツを知ったのだった。しかし何となく泥臭いいいイメージが好きでなくこのすぐ後にもっと洗練されたスポーツ、アメリカンフットボールを知ってそちらのほうに傾いていくのだった。

 このドラマでは何と言っても主題歌がよく「空に燃えてるでっかい太陽~」で始まる歌詞を憶えてよく歌っていた記憶がある。

 

私のテレビライフ 年末年始の定番 NHK大河ドラマ 赤穂浪士

 年末年始の定番番組といえばもちろん紅白歌合戦となるのだろうが、その裏側で大河ドラマと言う存在も欠かせない。私が初めて観た大河ドラマは1964年に放送された「赤穂浪士」だった。調べてみると大河ドラマとしては第2作目らしいのだが、「大河ドラマ」という言葉が使われるようになったのはこの「赤穂浪士」かららしい。

 数ある忠臣蔵のドラマ、映画の中で自分自身としても初めて観たのがこの1964年の「赤穂浪士」で、討ち入りの話らしいというのは何となく知ってはいたがストーリーの全体を知ったのはこの大河ドラマに依ってだった。

 何と言っても頭に焼き付いているのは最初のタイトルバックに流れる勇壮なテーマ曲で当時既に大作曲家として著名だった芥川也寸志氏によるものだった。

 この時の吉良上野介を演じていたのは伊丹十三だったと思い込んでいたのだが、どうもそれは忠臣蔵を現代劇に作り直した「峠の群像」とごっちゃになっていたせいらしいことが今回調べてみて発覚した。



 

私のテレビライフ お正月の定番番組 新春かくし芸大会

 今年も新年2日、3日はずっと箱根駅伝に目が釘付けだった。その後ブログを付けていてふと(そう言えば昔はお正月と言えば箱根駅伝ではなくて2日の夜辺りにやっていた新春かくし芸大会だったな)と思い出してしまった。

 調べてみると「新春かくし芸大会」が始まったのは1964年、最初の東京オリンピックが開催された年からだったらしい。最初から観ていた訳ではなかったかもしれないが、昭和40年代に入った頃には間違いなく毎年欠かさず観ていた気がする。確か東日本の芸人と西日本の芸人が対決して点数を競い合う東西対決だった筈だ。勿論、東京の芸人と関西の芸人が主に戦っていた気がする。

 かくし芸大会は2010年まで続いていたらしいが、その前にマンネリ化が感じられていつしか観なくなっていった。代わりに正月の愉しみと言えば箱根駅伝に取って変わられていた。何時から箱根駅伝が正月の定番になったのかははっきりしないが、2007年に順天堂大今井正人が山の神としてデビューした頃には既に正月の定番になっていたので2000年に入ってすぐの頃に観始めていたのだろう。

 

私のテレビライフ 座布団運びの元祖 毒蝮三太夫の笑点

 ウルトラマンのアラシ隊員・毒蝮三太夫から昭和40年代初めというのは日曜夕方の定番番組「笑点」が始まった頃だったことを思い出した。テレビ放送界の黎明期の日曜夕方の定番番組「シャボン玉ホリデー」に次ぐ存在になった気がする。

 「笑点」の初代司会者は長く三波伸介だったように思っていたが、資料を調べてみると立川談志が初代司会者で私自身は逆に記憶していた。二代目司会者は三波伸介より前に前田武彦がやっていたというが私自身の記憶にはない。よく観ていた時代と観ていなかった時代があるようだ。今現在でも続いているということから60年ぐらい続いている番組のようだ。さすがにこれだけ長い期間続いているとこの番組に出演していた芸人が片手では数えられないぐらいに多く亡くなっているという事実に愕然としてしまう。