norimakihayateの日記

バーチャル旅日記からスタート。現在は私の国内旅行史に特化しています。

2019-11-01から1ヶ月間の記事一覧

四国旅行 30 高知へ

四万十源流近くの道の駅を出ると一路高知を目指す。須崎東というところから高速に乗る積りだったのだが、インター手前で大渋滞をしている。車も完全に止まってしまっているので、事故渋滞の可能性もあると判断し、一般道の56号線でゆくことにしてUターンす…

四国旅行 29 四万十源流近くへ

窪川までは割りとわかり易い56号線の一本道だったが、四万十川沿いの村の集落があるあたりになると、急に極端に道が細くなり、車のすれ違いも難しくなる。車でこの道を登ってきている観光客は殆んど居ない。山道の運転に慣れていない人には辛い道かもしれ…

四国旅行 28 中村から窪川へ

四万十川は松山から足摺に移動する途中でもちらっとは観たのだが、翌日は高知へ向かう前に源流近くを観てみたいと思ったようだ。四万十川が海に注ぎ込むのは中村辺りなのだが、源流へ向かうのに中村から四万十川沿いに進むのではなく、四万十川から一旦離れ…

四国旅行 27 土佐くろしお鉄道中村駅

窪川から四万十川へ向かう途中、妻がコンビニに寄りたいというので、捜しながらゆくが、結局中村までは見つからない。そこで中村へ入った時に、道を折れて、駅のほうへ向かう。駅前の通りにサンクスが見つかったので、そこへ入り、ついでに缶コーヒーも購入…

四国旅行 26 足摺から四万十へ

このところの記事は、当時つけていた日記の記述を元に書いているのだが、足摺から土佐へ至る道は何処から何処を通って向かっているのか判らなくなることが多い。どうも当時とは地名が変わってしまっている所も少なくないようだ。(以下は日記からの抜粋) ビ…

四国旅行 25 ビロー園の仲居

夕食を終え、早速仲居に片づけを頼む。和室での食事だったので、和室と洋間の境の障子を閉てて、洋間のベッドに寝転んで待つ。仲居の片付けは乱暴で、がちゃがちゃ音を立てていて品がない。この辺もホテル八千代との従業員の躾にも大きな差が出た。 翌2日、…

四国旅行 24 皿鉢料理と舟盛

ビロー園での夕食は部屋とのことだった。妻が風呂から帰ってきて、暫くしてから仲居が夕食の準備をするという。 料理は足摺地方で名物という皿鉢(さはち)料理と舟盛ということだった。皿鉢料理は幾種類かの和風会席のようなものを大皿や鉢に盛ったもの。彩…

四国旅行 23 ホテル・ビロー園2

足摺のホテル・ビロー園は、道後温泉のホテル八千代に比べても大分見劣りする気がした。殆んどビジネスホテルそのもののような造りだ。それでも、一番いい部屋ということで、ツインベッドの洋間と障子で囲われた四畳半ほどの畳の和室のある二間の造りは、そ…

四国旅行 22 白山洞門

金剛福寺を過ぎてから、一路海岸の白山洞門を目指すが、結構な道程だった。この日はずっと曇りで海の色は今ひとつ綺麗ではなかったが、まずまずの景色だった。 白山洞門は迫力のある岩場だった。白山洞門の後ろには嘗てのお土産屋の残骸のような建物がある。…

四国旅行 21 足摺岬

ホテルの目の前が遊歩道の始まりで、岬に向かって海沿いに海岸縁の道と断崖上の道があり、まずは断崖上の道を通って岬を目指す。途中、八十八番札所のひとつらしきお寺があり、寄ってゆく。背の高い金髪の白人娘が、境内に居る絵描きらしき人にいろいろ訊い…

四国旅行 20 ジョン万次郎クイズ

足摺のホテルは妻がインターネット経由で予約したのだが、ホテルから回答のメールに「ジョン万次郎クイズ」というのが付いていて、この回答をホテルのフロントに持ってゆき、全問正解すれば宿泊料が10%オフになるというのだ。 ■ジョン・万次郎クイズ■ Q…

四国旅行 19 足摺観光ホテル・ビロー園

中村の饂飩屋を後にしてからは、一路足摺を目指す。 清水という町に出たら、海縁に足摺黒潮市場という海鮮品のお土産屋があり、寄ってみることにする。ここでは四万十の海苔の佃煮や、松山のホテルで買ったのに似た干し海老などを買う。 そこから先は、山道…

四国旅行 18 讃岐うどん

(イメージ画像) 沈下橋を観ながら車を下流、下流へと走らせ、中村に着いたのはかれこれ1時過ぎ頃になっていた。助手席の妻にガイドブックで調べさせた店を目指して駅前を走ったが分からず、通りがかった場所に「セルフの讃岐うどんの店」というのがあった…

四国旅行 17 沈下橋

江川崎から四万十川沿いを中村という河口の町まで一時間ほどを掛けて、下流へ、下流へと下って行く。途中、話でしか聞いたことのなかった沈下橋を見つける度に車を停めて写真を撮る。 実は沈下橋と同じ欄干のない橋は、自分が棲む街にも嘗てはあった。我が街…

四国旅行 16 四万十川

最初に四万十川に出た江川崎というところは中流付近ではあったが、川の色は碧いエメラルド色で、充分美しかった。途中何もない、土砂砕石場のようなところで、駐車できるスペースがあったので、車を停め、水辺まで出ることにする。水辺までは結構な距離歩か…

四国旅行 15 山越え

8時半頃、萬翠荘も出て、一路56号線を使って南下する。途中、松山自動車道の案内が出てきたのだが、行き先が高松・高知としか無かったので、宇和へ向かう道ではないと思い、そのまま一般道を南下する。伊予まで来て再び松山自動車道の案内が出て、宇和の…

四国旅行 14 萬翠荘

翌朝は遅くならないようにとフロントに電話しておいたので、チェックアウトはスムーズに済み、8時頃出発できることになる。ホテル到着時に昼食の店を教えてもらった人に、足摺までの道のことを尋ねると、丁寧に所要時間入りの地図までコピーしてきてくれた…

四国旅行 13 ホテル八千代の湯

夕食は部屋に用意して貰った。鯛づくしの特別料理で、量も種類もふんだんにあった。ビールは部屋の冷蔵庫にあったのだが、仲居さんが、アサヒなら部屋の冷蔵庫、キリンがよければ、ロビーの自販機にあるというので、自販機に買いに行って部屋のものは使用し…

四国旅行 12 道後温泉館

地ビールと会席料理でお腹も膨れ、いい気分になってから、道後の商店街と駅周辺を散策する。有名な道後温泉館は外側を見ただけで帰ってきてしまったが、お金を払っても内部も見せてもらえばよかったとつくづく後悔してしまった。 その後、酒の調達に出ようと…

四国旅行 11 道後地ビール

ホテルの部屋に荷物を置いてから下におり、フロントで昼食を採る店のお薦めを聞く。フロントマンが丁寧に街の案内図まで持ってきて、お薦めの店を幾つか紹介してくれたので、その中の一番のお薦めだった地ビールの店を目指すことにする。 その店は水口酒造と…

四国旅行 10 ホテル八千代

松山城見学中、妻はゴルフ用品店の駐車場に置いてきた車が気になるらしく、展示物の見学もそこそこにして、戻ることにする。帰りの下り坂は、登るときよりきつい気がした。丁度12時半くらいで、役所の勤めらしいワイシャツ姿の人が、如何にも昼休みの運動…

四国旅行 9 松山城

次に向かったのは、松山城。県庁前の通りを通って、とりあえず駐車場を探しながら城山のまわりを回ろうとしたのだが、辺りは結構な渋滞。特に外側から県庁のある中心部へ向かう道が大渋滞をしている。ロープウェー駅のすぐ傍にある城への登り口の駐車場も満…

四国旅行 8 松山総合公園

松山総合公園は山の中腹あたりに駐車場があり、そこから少し歩いて登る。綺麗に整備された真新しい公園で、シルバー人材が何人も出て、植木や芝の手入れをしている。丁度季節柄なのか、クマンバチが多くて、縄張りを守るかのように、威嚇してくる。が、危な…

四国旅行 7 松山市内

レンタカー店で松山市内の絵地図を貰う。取りあえずそれを見ながら市内を走り始める。道は信号も少なく、幅も結構広くて、走りやすかった。が、交差点がどうにもわかりにくい。どこからが交差点なのかが判りにくいのだ。関東の道とどこかが違うようなのだが…

四国旅行 6 レンタカー

松山空港到着は定刻の8:45より若干早かったようだった。預け入れ荷物もないので、すぐにロビーに出れて、レンタカーの受付窓口も発見する。予約時間にはちょっと早かったので、ロビーのソファで荷物の入れ替え作業と、ガイドブックでの松山市内の観光地の確…

四国旅行 5 空の旅

(三浦半島上空) 羽田を立った上空は霞がかかっていて、そんなにいい見晴らしではなかったが、かろうじて地上の様子は確認できた。千葉側の房総半島、東京湾を横切る高速と海ホタル、三浦半島、小田原近辺と真鶴半島あたりまでは確認できた。富士山は反対側…

四国旅行 4 二つあった機内誌

四国旅行に出掛けた当時の日記を見てみると、乗った全日空は機内誌も、結構いい内容のものだったと書いてあった。表紙がインドの民族舞踊の面で、地方各地の土集めの記事がなかなか綺麗だったとあったのだ。それで取ってある飛行機機内誌のコレクションを漁…

四国旅行 3 空弁

羽田空港へは最寄りの駅の始発に乗ったのだが、朝の早い7:25発という飛行機だったので、かなりぎりぎりだった。蒲田から乗り換えた京浜急行も結構混んでいた。 ちょうど「空弁」という言葉が流行り始めた頃だった。テレビで「みち子の焼き鯖寿司」というのを…

四国旅行 2 夫婦初めての国内線

四国まで旅行しようということになると、交通手段は自然と飛行機という事になる。翻ってみると、夫婦二人で飛行機を使った旅行というのは海外旅行しか経験がなかった。夫婦でそれぞれに仕事をしていたので、仕事での出張とか職場の職員旅行というような事で…

四国旅行

四国を旅行しようということになったのは、熱海に十年目となる年末旅行をした翌年だった。どういう経緯だったのかはもうはっきりとは憶えていないのだが、多分その年の4月から下の息子が中学生となり、上の娘はもう高二でそろそろ本格的に受験の準備が必要…