2017-07-01から1ヶ月間の記事一覧
2月のとても寒い中、初めての韓国を出張で訪れた後、次に廻ってきたのが今度は真夏、7月の韓国出張だった。 ルノーサムスンとの新型車立上げのプロジェクトも大分進んできていて、この時の出張では完成車両の検査装置の詰めだったように思う。最初に朝鮮半…
朝のうちに水源を出てソウル市内に戻ると日本への出発までの間、ちょっとだけ観光に出る。最初に向かったのが南大門だ。建造以来六百年の歴史を持つ門らしいのだが、2008年に放火により全焼してしまったのは記憶に新しい。今はどうなっているのか調べて…
初めての韓国出張では水源に二泊して三日目にはもう帰国することになる。三日目の朝、一人で近くを散歩してみようと思ったが、余りの寒さにホテルに引き返したことを憶えている。ホテルでゆっくりめの朝食を採った後、タクシーでソウルへ戻ることになる。途…
二日目のミーティングが終わって、サウナへ行ったのは前述しているが、その後、夕食を採るのに同行した営業の男はきっと何も検討しないで来る気がしたので、こちらで水源の地図やホテルのパンフレットを調べて、夕食の店をあらかじめ決めておいた。最初の夜…
2001年の韓国出張についてはあまり記憶が残っていない。当時の日記を辿ってみても数行しか書いてなくてあっさりしている。それで当時、出張と言えばノートPCに通信モデムカードを持参して会社との間で電子メールをしていたことを思い出し、その記録も…
水源(スウォン)のホテルには二泊している。ホテルの案内パンフ、水源の地図、観光地・華城の案内パンフなどは貰ってきた憶えがあるのだが、屋根裏の奥などを捜してもみつからなかった。当時から会社のサイトも居住地も変っているので、どこかで処分したか…
ルノーサムスンのテクニカルセンタがある水源(スウォン)という街は水源華城という古い城壁の跡が残っている観光名所のあるところだった。その横を擦り抜け、確か丘の上のほうにあったテクセンへ向かう。 夕方からのミーティングにはRSM側からは4、5人…
韓国へ着くとすぐにタクシーでソウル市街から、ソウル郊外にあたる水源(スィウォン)というルノーサムスンのテクニカルセンタがある街に向かう。初めてみる韓国の街は、寒々とした冬場ということもあるのだろうが、灰色に煙って見えた。近くのそんなに高く…
海外へ出掛ける時は成田の免税品店で旅行中に呑むウィスキーを買っていくのがならわしになっていたのだが、この年から初めてプラスチック製のボトルに入ったシーバスを買っている。ガラス製のボトルは重いので、旅行者にはプラボトルはとても有り難い。 韓国…
今日は旧友の突然の来訪を受けて何時も通りのブログ更新をすることが出来なかった。 明日以降、請うご期待。
韓国出張は2001年のまだ寒い時期だった。当時の日記によると世間の3連休に当たってしまってちょうどいい時間帯の成田エクスプレスが取れなかったとあるので、建国記念日の頃だったのだろう。 同行したのはエンジン制御システムを共同開発していたH社の…
2000年の米国出張は、海外出張としては12年ぶりだった。しかし翌年の2001年には韓国へ出張する機会が訪れる。米国出張の時と内容は似ていて、その当時所属していた会社で扱っていたエンジン電子制御システムを韓国の自動車メーカー、ルノー・サム…
2000年の米国出張から帰ってすぐ、同行したK氏にフランス出張の話が舞い込む。今度はR社との商談だった。ヨーロッパには英語が堪能な現地駐在員が何人か居て、英語には不自由しないので、K氏も安心して出掛けていったようだ。 出張から帰ったK氏から…
リアル京都の旅にまた出掛けていて、ブログ更新が滞ってしまった。初日は朝早くに出掛ける前に、最終日は日付が変わろうとする直前に帰宅出来てぎりぎりで更新出来たので、空いたのは二日分で済んだ。その模様は後日また記事にしたいと思っている。 2000…
ロサンゼルス最後の夜は、同行のK氏のたっての希望で、彼が前に訪れたことのあるシーフードの店、キャプテンクックを訪れている。運転はK氏の嘗ての部下(つまり現地駐在員に送り出した張本人という意味)を呼び出して運転をさせる。店は決して上品という…
ロスの空港へは、メル友ではあったがまだ逢ったことがなかったT氏が迎えに来てくれていた。アリバイ作りの為の事務所訪問を形だけしてから事務所傍の饂飩屋で昼飯を採ってから、お決まりのビバリーヒルズ界隈、チャイニーズシアター前とT氏の運転でロス市…
私が当時勤めていた自動車用電子機器製造メーカは、主要取引先の自動車会社の販売本店がロスに多かったので、ロスにも駐在事務所を持っていた。ただデトロイトほどの規模はなく、日本人駐在員が二~三名、現地雇い事務員が一人ぐらいの事務所だった。アメリ…
デトロイト対岸のカナダ側の街はウィンザーと言った。ウィンザーに渡るには地上の橋を渡るか、地下のトンネルを通るかする。どちらにも税関と入出国管理所がある。我々は往きは地下のトンネルで越え、帰りは夜景を愉しみながら橋を渡るという選択をした。 怖…
結局デトロイトの駐在員事務所には三日間居て、初日が資料作り、二日目はプレゼの本番をやる現地雇いの米人が私用で途中から帰ってしまったので代役の米人を使ってプレゼの練習。三日目は午前中プレゼの最終調整をやって午後にF社に赴き本番となった。プレ…
ノバイにあった駐在員事務所には現地スタッフは5人前後居たと記憶している。しかし定着率はとても低く、半年で離職するなんていうのはざらだったようだ。日本人スタッフも任期は数年で交替する。私達が出張で訪れた時に事務所に最年長で居たのは空港へ迎え…
2000年の米国出張では初めてノートパソコンを持参している。まだ会社内で個人所有のPCの使用が許されていた時代だ。というより、まだ会社のPCが一人一台までは行き渡っていない時代で、個人で購入して持ち込むならどうぞという感じだった。 私はちょ…
デトロイトに着いてすぐ、駐在員の車で事務所へ連れていかれる。到着当日は市内見物でもしてと思っていたのだが、駐在員達にはそんな感覚は一切無かった様で、すぐにF社との商談の準備に取り掛からされる。 デトロイトの現地駐在員事務所はノバイというとこ…
2000年のデトロイトへの出張はあまりはっきりとした記憶もないし、資料も殆ど残っていない。商用出張なのでカメラも持参していなかったので写真も殆ど残っていない。かろうじて日記に残っている記載によれば、午前11時に成田を立って、同じ日付の午前…
システム開発担当の同僚と横浜駅で落ちあい、始発の成田エクスプレスで成田へ向かう。4泊6日の予定だったので、私は布製のバッグ一つ。商用打合せなので往きから背広で、着替えは下着にYシャツ1枚のみの軽装だった。一方の同僚は大型サムソナイトのスー…
このところずっとアジアを中心とした海外リゾート地での家族バカンス旅行について振り返ってきた。海外リゾートでの家族旅行は2000年のペナン旅行で締め括ったのだが、実はペナンに出掛ける2箇月ほど前に海外出張で米国に出掛けている。ここからは海外…
ペナンからの帰りは久々に朝早い便だった。プーケットやシンガポールからは夜間飛行で帰ることが多かったので、新鮮に感じた。キャセイ・パシフィック航空の便は窓側の席だったので、窓から眺める雲の上の景色を娘が何枚も写真に撮っていた。 今回で2000…
ペナンのラササヤン・リゾートホテルの場所ははっきりとは記憶にないのだが、夕陽の写真が結構残っていることからペナン島の北側であったらしい事が判る。海に向かって左の方角に陽が落ちているからだ。マレーシア本島のインドシナ半島からは遠い側だったの…
前回も書いたプール、ビーチ、エスニック料理、民族舞踊等々、あまり記憶に残るものが無かったペナンですが、唯一忘れられない記憶にあるのがブリトニー・スピアーズのCDです。 実は家族旅行のペナンに出る前の2箇月ほど前に、商用で米国出張をしていまし…
アジアン・リゾート・ホテルでのバカンスも10回目ともなると、プールにしろ、ビーチにしろ、エスニック料理にしろ、民族舞踊にしろ、キッズクラブにしろ、殆どどんなものも目新しくはなく、そのそろこの手の旅行はお終いにしてもいいのかと思い始めてきて…