2016-10-01から1ヶ月間の記事一覧
出発の数箇月前に欧州市場調査ツーリングの渡航先が発表になった。その当時、会社の開発部門の出先駐在員事務所がベルギー首都ブリュッセルの郊外のザベンタムという所にあり、そこをベース基地にすることになる。そこから国境を越えてドイツに入り、アウト…
欧州市場調査ツーリングの準備として、国際免許証の取得があった。確かその時の免許証が残っている筈と思って物置を探ってみたら二つ出てきた。1986年の米国出張の時のものと、1988年の欧州出張のものだ。国際免許証は1988年の時に初めて取得したと思い込ん…
欧州市場調査ツーリングの準備としては走行訓練の他にデータ取りの事前訓練があった。ただ単に走行するのではなく、さまざまなデータを計測しながら車を走らせ、その測定データを後日解析出来るように保存するのだ。まだパソコンと呼ばれるようなPCの無い…
欧州市場調査ツーリングにあたっては、事前にいろんな準備があった。そのひとつが走行訓練だ。速度制限がない高速道路であるアウトバーンを走るということがあって、日本では通常経験することが出来ない200km/hを超えるスピードでの走行と、そのスピードから…
欧州市場調査ツーリングの具体的なやり方は、現行車と競合車を数台用意して、一般市街地、アウトバーンを主体とした高速道路をデータを取りながら試乗して周るというやり方で、途中で現地の自動車関係のジャーナリストを招待しての試乗会とインタビューを交…
前回までは1986年の最初の海外出張記を綴ってきたが、今回からは1988年の二回目の海外出張、ヨーロッパ編に移る。 その当時私が勤めていた会社では、日本向けに設計された車を左ハンドル化しヨーロッパやアメリカへ輸出していた。(英国は日本と同じ…
米国出張を終えて当然ながら報告書を作成する。そのコピーが出てきた。作成当時は、表紙だけワープロで書いて二頁目からは青焼きコピー用の薄手の紙に鉛筆で手書きで書いたものだ。ワープロは当時、部に1台か2台位しかなくて、交替で使っていたのを憶えて…
ギャレットを訪れて韓国料理店で焼肉を食べた翌日はもう日本へ戻る便に乗る最終日だ。午前中の便だったので、ホテルを早々に引き揚げて、空港のレストランでフィッシュ&チップスをつまみにビールを飲みながら搭乗時間を待つことになった。 ずっと一緒だった…
デトロイトでの講演発表後、同じ部から講演会に参加したI氏とは別れて別行動になったのだが、ロスアンゼルスで再び合流した。私とT氏が米国中の自動車関連機器メーカー巡りをしていた間は、インデアナポリスでレース観戦をしたり、我々より早めにロス入り…
ロサンゼルスではギャレットという会社を訪問している。ターボチャージャーのインペラーという羽根みたいな部品を供給している会社だったが、その当時既に、前述のアライド・オートモティブに吸収合併されていたように思う。 ターボチャージャーによるエンジ…
フェニックスからロサンゼルスは一時間程度のフライトだったように記憶している。ロサンゼルスに降り立って一番印象に残っているのは、空港からダウンタウンへ向かう道の大渋滞だった。何せ、片道5車線ぐらいもあるのに、それが車で埋まっているのだ。アメ…
フェニックスから最終目的地のロサンゼルスへは写真も残っているので飛行機で行ったのは間違いない。しかし、何故かフェニックスからロサンゼルスまで車で行ったような気もしていた。ルート66で延々と続く道の先にロサンゼルスの高層ビルを観たような気が…
ボストンからフェニックスに飛ぶ際には、駐在員の同行はなく、私と関連会社のT氏二人だけだった。T氏の金髪女性好きについては以前にも触れているが、ボストンの空港でフェニックス便の搭乗手続きをする際にも普段は誰かに手続きを頼むのに、偶々居た金髪…
昨日何気なくフェニックスの街のことをテキサスにあるように書いてしまったが、正しくはアラバマだった。砂漠の街だったと思い出していて、アラバマ砂漠という言葉が自然に出てきて、あれっと思ったのだ。飛行場の辺りは結構な市街地だったと思うのに、翌朝…
ボストンでテキサスインスツルメントを訪問した後は、インテルを訪問する為にテキサスのフェニックスへ移動する。USエアー便で3、4時間は掛かったと思う。夕方、飛び乗るように飛行機に乗ったのだが、フェニックスの空港に差し掛かった頃にはもう暗くな…
ニューポートニューズでベンディックスという会社の人とミーティングと見学をした後、マサチューセッツにあったテキサスインスツルメントという会社を訪れる為にボストンへ向かう。着いたのはもう夜遅くだった。海辺のホテルに泊まったのだが、既に暗くなっ…
ニューポートニューズという街にあったのは、ベンディックスという会社だ。私が当時手掛けていたエンジンの燃料噴射システムという業界では老舗にあたる。あの頃から同じ名前で生き延びているのはボッシュぐらいかもしれない。ルーカスという会社も老舗だっ…
ニューヨークで過ごした日曜はワシントンDCに戻って駅近くのホテルに投宿している。翌月曜はまた駐在員のS氏にピックアップして貰って、まず駐在員事務所を訪ね、その後米国で輸出する車の排気認証試験業務を請け負って貰っている会社の施設を見学する。…
メトロポリタン美術館を急ぎ足で観た後は、ブロードウェイまで行っている。一度はメトロポリタン美術館があるセントラルパークからエンパイヤステートビルの辺りまでマンハッタン島の半分ぐらいを歩いているのだが、もう残り時間があまりなく、タクシーを使…
エンパイヤステートビルに昇った後はメトロポリタン美術館を訪れている。ここは私のたっての希望で、美術には殆ど興味のない同行のT氏、駐在員のS氏は渋々着いていったという記憶がある。なので1時間程度の約束で待合せ、物凄いスピードで色んな展示を廻…
微かな記憶だが、ヘリコプターの発着所はマンハッタンの中央より北側のイーストサイドにあったような気がする。ヘリを降りた後、セントラルパークを抜けて南へ向かって歩いた記憶があるからだ。残っている写真からすると五番街をずっと歩いて聖トーマス教会…
マンハッタン到着後、最初に連れていかれたのは、ヘリポートだった。マンハッタンのどの辺りにあったのかは記憶にもない。駐在員S氏の薦めで、おそらく30分強ぐらいのフライトで50ドル前後。日本円にして当時のレートからすると1万円ぐらいだったかも…
ワシントンDCのユニオン駅で乗ったアムトラックの列車は、ハドソン川の川底をトンネルで越え(おそらくだが)マンハッタン有数の駅ペンシルベニア駅の地下ホームに到着した。ニューヨークにいよいよ足を踏み入れたという感慨に酔いしれたのは、やはりこの…
S氏の社宅に泊めて貰った翌日は日曜日だったので、大っぴらに観光が出来る休日となる。そこでS氏の薦めもあってニューヨーク、マンハッタンまで繰出すことになった。DCの駅まで車で行って狭い場所に縦列で路上駐車し、アムトラックという国鉄みたいな電…
駐在員のS氏の社宅で手料理の夕食を御馳走になった晩は、S氏の社宅に関係会社のT氏と共に泊めて貰ったらしい。はっきりした記憶がないのは、寝る前に暖炉の前で相当呑んだせいだろう。 朝、社宅前で撮った写真が残っている。相当広い邸宅で、代々の駐在員…
デトロイトからワシントンDCに移動した日の昼食は、海沿いだったか川沿いだったかはっきりしないのだが、船がいっぱい停泊されている場所にあるシーフードレストランへ連れていかれ、そこでの名物と言われていたソフトシェルクラブとクラムチャウダーを御…
ワシントン市内観光の最後にはスミソニアン博物館へも寄っている。行ってみるまでは知らなかったのだが、とても広大な敷地で1、2時間で廻れるような場所ではなかった。それで夕方の空き時間に行ったので、一番有名(?)と私が思っていたスペース関連の博…
ワシントンDCの駐在員事務所に挨拶廻りをした後は、駐在員S氏の案内で市内観光をしている。お馴染みの観光地ばかりで、ペンタゴン、ホワイトハウスは車で外から眺めただけだが、キャピトルという国会議事堂、ワシントン記念塔、リンカーン記念堂、ジェフ…
デトロイトからワシントンDCまではUSエアーの飛行機で1時間程度だったと思う。空港は当時もおそらくバージニア州側のダレス国際空港だった筈だ。ダレス空港に降り立つ直前の物らしき航空写真が残っている。現在のグーグル地図と比較しながら見て、今一…
いよいよ発表も終り、開放感と共に週末を迎える。八日目はワシントン駐在事務所のS氏と共にデトロイトからワシントンDCに向かうことになる。勿論関連会社のT氏も一緒だ。 デトロイト国際空港からは、今度は国内線でUSエアーという航空会社を使うことに…