norimakihayateの日記

バーチャル旅日記からスタート。現在は私の国内旅行史に特化しています。

2019-02-01から1ヶ月間の記事一覧

H岬の博物館

大学の寮は鉤型に曲がった岬のかなり先の方にあったが、更にその先には古い博物館があった。その事はもうすっかり忘れていたのだが、偶々今読んでいる百田直樹氏の歴史書「日本国紀」の幕末頃の記載の中に、ロシアの黒船が来航した際に大地震があって被災し…

幻の海岸露店風呂

T村の喫茶店で臨時のウェイトレスと話をしていて、海岸の方に公営の露天風呂があるという話を聞いた。それで喫茶店を出た後、早速行ってみることにした。商店街から少し歩くと海岸沿いの公園に出る。その先に確かあったように記憶している。海に面していて…

H岬から隣村へ

H寮には二泊している。最初の日はHの漁港のほうをぶらぶら歩いて一軒だけある喫茶店を見つけ、そこで珈琲を所望している。 二日目は同じ所は飽きてしまうので、車に積んであるロードマップを調べて隣町のT村(T町だったかもしれない)という所へ行ってみ…

H岬 H寮

次に宿泊するH寮はH岬のかなり先っぽのほうで、防風林らしい松並木の下にあった。駐車場はなく、岬の根元のほうに港用の駐車場があったので一旦寮近くまで行って荷物を降ろしてから駐車場に停めに戻ることになる。初めて訪れたH寮はY湖畔前の寮より更に…

H岬 タカアシガニの店

修善寺を経由し、達磨山へ向かう看板を観ながらH岬のほうへ降りていったのは昼前が昼過ぎ直後ぐらいだったと思う。海岸へ出るとすぐに港の駐車場があったのでそこへ車を停め、昼を採るのに海岸沿いの店を物色する。あまりはっきりとした記憶はないのだが、…

H岬への道

籠坂峠のヘアピンカーブをタイヤを鳴らしながら降りていったのは憶えているがそこからどの道を通っていったのかが思いだせない。幾つかルートがあるのだが、おそらくは車に積んでいたロードマップを観ながら最短距離を走った筈だ。となると御殿場、沼津、修…

雪の籠坂峠越え

Y湖畔の寮、三泊目を過ぎた朝は雨模様だった。この日は次の宿泊地、伊豆半島のH岬というところにある大学の寮を目指すことになる。 湖畔を出て山道に入ったところですぐ雨は雪に変わり、地面にもかなりの積雪があった。まさかとは思いながらも冬のドライブ…

五湖巡りドライブ

Y湖畔の寮は3泊していて、丸二日は居たことになる。一日は油絵を描いたりして過ごしているが、もう一日は五湖巡りのドライブに出たようだ。 自転車で来た時よりは随分楽に廻れた筈だが、その分記憶は薄い。自転車で来た時は半分しか廻れなかった一番奥のM…

Y湖畔 大学寮

Y湖畔にある大学寮は二度目になる。最初の時は自転車旅行で12月半ば。この時は3月初めだったが、まだかなり寒かった。なにせ寮の部屋には暖房といっても炬燵一つあるきりなのだ。 最初に来た時は何もすることがなくて所在なかったので、この時は車だった…

Y湖畔までの道

Y湖畔にある大学の寮までは大学一年の時に自転車旅行で行っているので、地図を見ないでも行ける場所だった。自転車旅行の際は途中でS湖近くのユースホステルに一泊したが、この時は家から直接向かっているが基本的なコースは同じだった。青山というT字路…

初めてのドライブ一人旅

大学三年にあがってすぐ運転免許の教習所に通い始め夏前に免許を取得した。その時は自分で車が持てるなどとは思ってなかったが、夏になってすぐに手に入れることになった。父親の同僚だった人が自動車修理工場を持っていて、そこで安く紹介するからと言われ…

日明(ひあがり)の叔母の家

祖母の家を訪問した後、九州最後の一泊をする為に向かったのは小倉にあった父の兄弟のうち長女だった伯母の家だ。幼少の頃、正月というと親戚の家に年始に行くという事が多かった。父から見て妹ではあったが、長女の叔母は小倉に棲んでいた。肉屋を経営して…

祇園町 祖母の家

大里の叔父さんの家でフグ刺しを御馳走になった後、母方の祖母の家に向かっている。祖母の家というのは、祖父は私が生まれる前に亡くなっており、別の人と既に再婚していたからだ。私達家族が北九州に棲んでいた頃には再婚後近くには住んでいた。先に紹介し…

大里の叔父さんの家

秋吉台は秋芳洞の片側の入り口で下して貰って、高校の修学旅行に続いて二度目の見学をして、反対側の出口で待っていてくれた従兄弟の車で九州へ戻ることになる。午前中半日のドライブだった。 その後は門司に棲むZ家を訪ねることにしていた。Z家は地名とし…

秋吉台ドライブ

帆柱山巡りをした夜は、今度は叔母の家に泊めて貰うことになる。私の父は元々五人兄弟で、末っ子は幼くして夭逝しているので子供の頃、親に連れられ四人兄弟で長崎から北九州の方へ移ってきている。長男の叔父が八幡、長女の叔母が小倉、次女の叔母が若松と…

幼い日の思い出 帆柱山

八幡近辺を従姉妹が案内してくれるというので、もう一つどうしても行って見たかった場所、帆柱山に連れていって貰うことにした。 今日の最初の画像は私の小学校入学の日の写真で、家のすぐ前で撮ったものだ。背景にうっすら写っている山が帆柱山だ。毎日家か…

思い出巡り 八幡

従姉妹に八幡駅に迎えに来て貰ったおかげで無事、叔父の家まで到着することが出来た。15年前、九州から関東地区へ引越をする迄、我が家は叔父の家と棟続きの長屋住まいだった。その時と同じ家まで案内して貰ったのだが、どうやって行けばいいのか全く分か…

記憶の片隅にある八幡

平戸、佐世保と駆け足で回った後、親戚の居る北九州市へ向かっている。私の生まれ故郷でもある。当時はまだ八幡市だった。その後合併して北九州市八幡区になり、その後東西に分離して八幡東区になっている。 故郷を出たのは小学校に上がった年の夏休み、再び…

平戸・佐世保 弾丸観光

大学1年から2年に掛けて、地元の教会で新しい友人が多く出来た。それらの多くは長崎県出身者だった。長崎県と言っても、長崎市出身の人はあまり居なくて、平戸や五島列島など比較的田舎の人が多かった。 それで長崎へ行ったついでに平戸と佐世保も観ておき…

26聖人記念館

長崎の旅で唯一はっきり記憶にあることがある。ユースに泊まった翌朝、早朝に26聖人記念館に向かったことだ。この日はとにかく時間が無くて、半分駆け足で26聖人記念館への坂道を上がったような気がする。 有名な26聖人のレリーフのある巨大なモニュメ…

オランダ坂ユースホステル

浦上天主堂を訪ねた後、その日泊るユースホステルに向かったのだと思う。長崎の旅の記憶は写真が10枚程度残っているだけで、日記も付けていないので甚だ心許ない。 泊まった場所がオランダ坂ユースホステルだったという事は、ユース会員証に前年の東北旅行…

原爆の傷跡

浦上天守堂は、長崎原爆の爆心地だ。私の父方の親族は戦地へ出ていた男達を除いて殆どが原爆投下の日に亡くなっている。私の祖父は父を含めた4人の子供たちと祖母を伴って小倉へ引っ越していたので難を逃れた。元々広島に続く原爆は当初の目標地は小倉だっ…

浦上天主堂

グラバー邸を見学した後、浦上天主堂に向かっている。浦上天主堂というのは昔の言い方で、現在はカトリック浦上教会というのが正式名称のようだ。 実は浦上天主堂近辺は既に他界している私の父親の生まれ故郷だ。天主堂のすぐ裏側に嘗ては山里村というのがあ…

グラバー邸

タイトルにグラバー邸と書いているのだが、実はグラバー邸に関してはあまり記憶にない。確かに写真も数枚残っているし、今日の冒頭の画像の入場券の半券らしい紙片も残ってはいるのだが、これといった感想も思いだせない。 大学生になって二つ目の大きな旅行…

グラバー邸への道

大浦天主堂を見学した後、天主堂のすぐ右だったか左だったかに斜面をずっと登っていく小路があって、それに沿ってグラバー邸へ向かう。どんどん標高が高くなって天主堂の尖塔が下に見えるぐらいになると、遠く長崎湾の景色が見えてくる。 私が結婚した時、仲…

大浦天主堂

ブログをやるようになって、その記事に挙げる場所をネットのグーグル地図のストリートビューなどを観ていて驚くことがある。その一つが大浦天主堂だった。私の記憶、そして当時の写真と、グーグルのストリートビューに挙げられている大浦天主堂の外壁の色が…

最初の目的地 大浦天主堂

長崎を訪れた次の年に北海道旅行をして最初に函館を訪れている。長崎と函館はとても良く似ていて記憶の中ではよくごっちゃになる。共に路面電車が走っていて共に坂が多い街だからだろう。 夜行急行、雲仙に乗って長崎駅に辿り着いたのは早朝だった。長崎に行…

長崎 北九州への旅

大学二年の秋にした東北旅行の次に旅に出たのは、約一年後の大学三年の秋、長崎、北九州への旅だった。 大学二年から三年に掛けての間に教習所に通い、運転免許を取得している。つまりその間のアルバイト代はこの為に費やされていて、旅行資金は工面出来なか…