(県央から横浜に至る三大渋滞難所)
厚木飛行場近辺を中心に大和界隈を巡った翌週、月曜日に偶々休業日があったので再びロードバイクで昔の記憶を辿りながら走りに出る。
1970年代後半から80年代に掛けてという時期、日本は高度経済成長期に当る。ちょうどその頃、運転免許を取得しマイカーを持つようになり、会社に就職して毎日ではないが度々車で自分の住む県央地区から会社のある京浜工業地帯まで車で往復することが増えた。
日本社会に車がどんどん増えてゆく中で道路建設が追いつかず、通勤時間帯の渋滞は今ではもう思い出せないくらい激しいものだった。特に建設途中だった246号線バイパスが途切れる座間栗原交差点、旧246号と旧16号が交差する目黒交差点、これも建設途中だった高架の保土ヶ谷バイパスが横浜新道と合流する保土ヶ谷ICの慢性的な渋滞がひどかった。
そんな頃、会社の同期仲間といわゆる抜け道というのを開拓していた時代だった。少しでも渋滞を避けて早く到着出来る道を探して新しい抜け道を開拓していた頃を思い出して、ロードバイクで走ってみようという気になったのだ。