遠野の町からその日泊まるユースホステルを捜して電話をしている。遠野にもユースはあった筈なのだが、おそらく満杯だったのだろう。全国ユース案内の頁を繰って探し出したのは越前高田のユースだった。電話してみたら空いているとの事。30~40kmぐらいあるのでそんなに近くはなかったが、日が暮れる前にと車を飛ばしていった。
着いたのは漁港から海に突き出た松林の奥で、防波堤横の駐車場から松林の中をちょっと歩いていく感じだった。
食堂の隅に古いグランドピアノが置いてあって、夕食前にその当時よく練習して弾いていたビートルズのLong And Winding Road を弾き語りしてみたら、拍手大喝采を受けてしまった。
その時から30年の時が流れ、3月11日という日を迎える。
津波の被害から生き残ったものが幾つか紹介された中に奇跡の一本松というのがあった。(へえ~。こんなものがあったのか。何処にあるんだろう。えーっと、陸前高田? はて、何処かで聞いたような名前だな???)
と思っていて、やっと思い出したのだ。人生最後の独り旅で使ったユースが
その奇跡の一本松のすぐ下に建っていたそうなのだ。しかもあの日の数箇月前までは営業していたらしいのだ。