(ブリヂストン ロードマン)
小月(おづき)を出て長府(ちょうふ)を超え、いよいよ新下関までやってきた。
新下関は山陽新幹線で関門トンネルを越える前の最後の駅である。新下関を出てすぐに新幹線はトンネルに入る。しかし関門海峡を越えるのは暫く本州最西端を地下で走ってからになる。山陽本線のほうはまだ暫く地上を走って、下関まで行ってから関門トンネルで海峡を渡ることになる。
新下関のひとつ手前の長府にはブリヂストンの下関工場がある。ブリヂストンと聞けば、私には自転車のことがすぐに思い浮かぶ。しかしブリヂストン本社はタイヤメーカーで自転車は子会社のブリヂストンサイクルが担っている。先の自転車部品メーカー、シマノの工場に近いのでてっきり自転車工場なのかと思ったのだが、ブリヂストン下関工場は調べてみたら建設鉱山車両用タイヤの専門工場だった。あの、人間の高さの何倍もある直径のタイヤなんかを作っているのだろう。
ブリヂストンは子供の頃は憧れの自転車メーカーだった。その頃の人気車種はロードマンと言ったような気がした。しかし調べてみるとロードマンを発売したのは1974年からと意外と遅くなってからだった。似たような車種はもっと前からあったのだろうが、ロードマンになってから少年漫画雑誌の裏表紙などに精力的にCMを載せていたので、ブリヂストンのスポーツ車と言えばロードマンと思い込んでしまったのかもしれない。
昔は国産自転車メーカーは、ブリヂストンの他にセキネ、ミヤタ、富士、ナショナル、丸石、ヒドリ等々、多くの会社が凌ぎを削っていた。しかし、80年代頃から安い台湾製が台頭してきて、世界市場をあっと言う間に制覇してしまった。最大手はジャイアントだ。
嘗ては高級モデルを作っていたフランスのサイクルプジョーも今では台湾製のОEM製品にブランド名を貸しているに過ぎない。日本でマルキン自転車として売られているのも嘗ての日本の丸金自転車ではなく、台湾製である。台湾は50年前の日本にそっくりだ。50年前の日本と同じ事をしているからと言って嘆いても仕方ない。