2000年の米国出張では初めてノートパソコンを持参している。まだ会社内で個人所有のPCの使用が許されていた時代だ。というより、まだ会社のPCが一人一台までは行き渡っていない時代で、個人で購入して持ち込むならどうぞという感じだった。
私はちょうど前年まで会社内でも使っていたマッキントッシュの重いノート型190CSを落として壊してしまい、個人用に初めてウィンドウズ機を購入したばかりだった。パナソニックのLet’s noteシリーズのA44というタイプで当時は確か最軽量を誇っていた。通信はPCカードのモデムにモジュラージャックの電話線を繋いで行っていた。各プロバイダーがあちこちにアクセスポイントという中継基地を持っていて、そこへ電話を繋いで通信するという方式だった。会社がアカウントを取ってくれていたプロバイダはニフティで、海外ではニフティはコンピュサーブというプロバイダと提携していて、米国内にはこのコンピュサーブのアクセスポイントが幾つもあった。私もホテルの電話線を外してPCの通信カードに接続し直し、会社や同僚に状況報告などのメールを送っていた。