2007年1月終わり頃には二度目となる単身赴任の終了が見えてきて、赴任中にあちこち巡った場所を見納めと早朝サイクリングで極力廻るようになる。そのひとつが伊勢崎線剛志駅だ。
昭和初期頃の典型的な木造駅舎で、子供の頃の自分の最寄り駅を思い出させる。切符は硬券で、改札口で駅員がハサミをカチャカチャ言わせていた時代だ。
この地に最初に単身赴任したのは十年ほど前だったが、その当時は外国人労働者が大勢居て、この駅を早朝に乗り降りしていたのを目撃している。この地には電子部品の生産をする工場が数多く誘致されていて、そんな工場で働いていた労働者だったのだろう。それらの工場も2007年の頃にはすっかり寂れて閉鎖された工場も多く、外国人労働者も滅多に見かけなくなった。
剛志駅を観に行った帰りに道路沿いに明らかに工場跡と思われる更地になった空地を目撃する。赤く錆びた正門跡らしき背後によく手入れされた前栽が残っている。おそらくその後ろには立派な工場本社の建物があったのだろうが、工場、事務所含め一切の建屋は無くなっている。芭蕉の句「つわものどもが夢の跡」のフレーズはふと頭に浮かんできた。