昨日は本郷駅から出て、とうとう次の駅、河内駅まで到達出来なかった。1万歩は超え、8.8kmは稼いだのだが、それでも河内駅にはまだ5km程ある。ここの割と近くに広島空港がある。
広島空港は一度だけ使った事がある。90年代の終り近く、私の同僚で且つ親友であった男が、業界の研究発表講演会の座長を務めるということになった。広島でその講演会が開催されるということになり、私を含め3人の仲間がその講演会の質問者として乗り込むことになった。所謂サクラという奴である。その為にいい大人が、座長である親友を含め四人で羽田から広島空港まで往復の出張をしたのだった。その当時は我が業界も最不調の域までは行っていなかったので、超バブリーな出張を敢行しても眉を顰められないで済むぎりぎりぐらいだった。会場である広島市内から空港へは、タクシーでかなりの距離で、帰り道に市街地から延々空港のある山の上のほうへ昇ってゆき、こんな遠い所までタクシーを使ってわざわざ飛行機を使う必要があるのかと、正直思ったのを思い出す。
業界の講演会の発表というのでは、私自身も、何度か発表者として参加した事がある。そのうち、二回は英語でのスピーチで、一回は日本の筑波大学キャンパス。もう一回は米国デトロイトでだった。
30年近く前のデトロイトでの技術発表は初めての講演であるというだけでなく、初めての海外出張だった。その少し前に新婚旅行などで数回海外渡航は経験していたので、海外という事での心配はしていなかったが、英語でのオーラルスピーチは、かなり緊張があった。事前に現地駐在員事務所の現地雇用社員から、発音を含めチェックを受けたのだが、周波数の単位であるHerzを、ハーツと言う様に直されたのと、経済的にという単語をイカノミと言うように直されたのを強烈に憶えている。
その頃の円レートが幾らだったのかは、最早思い出せない。360円という事は無いと思うが、230円だったか180円だったのか、そのどちらか位だったのだろう。70円台まで日本円が高騰するなど考えられない時代であった。