norimakihayateの日記

バーチャル旅日記からスタート。現在は私の国内旅行史に特化しています。

2007年一日旅 箱根ドライブ 恩賜公園

 2月になって週末休みにたまには箱根にドライブに行こうということになる。

印象派の作品があるらしい仙石原の新しい美術館を訪れてみようと密かに思っていたのだが、妻が恩賜公園に洋館があるから行ってみようというのでそちらに向う。駐車場が有料なので一旦行き過ぎ、チラシをチェックしてその先にある無料駐車場まで行って少し歩いて戻る。車を出てすぐ雨がポツリ、ポツリと来たが、傘を取りには戻らずそのまま強行する。恩賜公園はなかなかいいところだった。洋館の展望館も雰囲気があってよかったし、そこから少し離れた展望台も小説の舞台になりそうな場所だった。実際、何かのサスペンスドラマのロケ地にも使われた筈で見たことのある風景だったが何だったかは思い出せなかった。

 湖の縁まで降りる健脚コースを歩いてから戻ることにした。車に戻るともう11時過ぎで、美術館は止めにして帰ることにする。少し前にアド街ック天国で紹介されていた渡辺ベーカリーの前で一旦停めたのだが、後続の車が通れないようなので、少し行き過ぎ、お土産屋の駐車場の脇に停めて、妻を車に残して買いに走る。ビーフシチューパンが有名らしいのだが、時間が経つと沁みてくるのでお土産には向かないと言われ、諦めてカレーパンとピロシキを買って帰ることにする。

2007年一日旅 群馬桐生ドライブ 水道山公園

 大川美術館を出て11時50分ぐらいだったが、ついでなので水道山公園も散策してゆくことにする。結構な急坂を登っていく山道が続いていた。

 残念だったのは、頂上からの景色が結構いいらしいのだが、霧で霞んでよく見えなかったことだ。特に裏山のほうには、別の小高い山が間近に見えて晴れていたら面白そうな景色だった。

 30分ほど散歩して帰ることにした。坂を下っていくと真正面に桐生第一高校と書かれた建物がある。確か高校野球春高バレーかで有名な学校だった筈だ。

 

2007年一日旅 群馬桐生ドライブ 大川美術館

 週末を単身赴任先で過ごした二日目は雨になってしまったので、桐生にある大川美術館まで車でドライブすることにした。

 大川美術館は最初の単身赴任の時に見つけて、以来数度訪れているお気に入りの場所だ。個人が経営している美術館らしく駐車場が無くて心配したが、裏に水道山公園というのがあってそこの駐車場に停めさせて貰うことにする。

 お気に入りの絵も幾つかあるのだが、最初に訪れた際に記念展をやっていた松本竣介という昭和初期頃の画家の絵が一番気に入っている。

 

2007年一日旅 群馬週末サイクリング

 単身赴任の終わりが近づいて、早朝サイクリングでは懐かしい場所を極力廻るようにしていたが、2月に入って最初の連休に二度目の単身赴任になって初めて週末自宅には戻らないで単身赴任先に居残ることにして、日中のサイクリングに出ることにした。

 目的地にしたのは高崎にある群馬の森。妻や子供達を連れて何度か訪れたことがあるが、ちょっと遠いので自家用車でしか行ったことが無かったが、地図で調べて殆どサイクリングロードを使って行けそうだったので試してみることにしたのだ。

 伊勢崎、前橋、高崎を跨って利根川とその支流沿いにサイクリングロードが作られているのだが、いつもはアパートの傍の広瀬川から走り始めて埼玉との県境になる利根川まで出て、そこから利根川沿いに北上方向に進んで坂東大橋の下付近までで戻ってくるのだが、そこから更に進んで五料橋という橋まで出て利根川を渡り、今度は烏川という利根川と同等ぐらいの大きな支流沿いに進んで高崎に入る。高崎内では一部一般道を走るので、迷いながら土地勘で群馬の森を目指す。

 群馬の森は市民の憩いの場である森林公園だが、元は太平洋戦争中の陸軍の大砲や砲弾などの試験場だったらしい。

 中には県立の博物館や郷土資料館などの建物もあるのだが、既に何度か訪れたこともあるのでトイレ休憩だけで戻ることにする。

群馬の森を出たのが9時50分。アパートに着いたのが11時5分だったので、ノンストップで1時間15分だったことになる。平均時速は帰りは25km/hぐらいだろうから片道30kmぐらいという計算になる。往きは7時35分頃出て、途中何度か休憩したり写真を撮ったりして、迷ったこともあったが、群馬の森の前に出たのが、9時15分くらいだったので、1時間40分ぐらい掛かっている。ロードのサイクリストには10人程度出遭っているが、一人を抜いて一人に抜かれたという計算になる。

 

2007年一日旅 群馬・早朝サイクリング 2

 2007年1月終わり頃には二度目となる単身赴任の終了が見えてきて、赴任中にあちこち巡った場所を見納めと早朝サイクリングで極力廻るようになる。そのひとつが伊勢崎線剛志駅だ。

 昭和初期頃の典型的な木造駅舎で、子供の頃の自分の最寄り駅を思い出させる。切符は硬券で、改札口で駅員がハサミをカチャカチャ言わせていた時代だ。

 この地に最初に単身赴任したのは十年ほど前だったが、その当時は外国人労働者が大勢居て、この駅を早朝に乗り降りしていたのを目撃している。この地には電子部品の生産をする工場が数多く誘致されていて、そんな工場で働いていた労働者だったのだろう。それらの工場も2007年の頃にはすっかり寂れて閉鎖された工場も多く、外国人労働者も滅多に見かけなくなった。

 剛志駅を観に行った帰りに道路沿いに明らかに工場跡と思われる更地になった空地を目撃する。赤く錆びた正門跡らしき背後によく手入れされた前栽が残っている。おそらくその後ろには立派な工場本社の建物があったのだろうが、工場、事務所含め一切の建屋は無くなっている。芭蕉の句「つわものどもが夢の跡」のフレーズはふと頭に浮かんできた。

 

2007年一日旅 早朝サイクリング

 単身赴任中は毎日、早朝に会社に出社する前に単身アパートからすぐ近くの利根川支流沿いのサイクリングロードを1時間ほど走っていた。

 その際にサイクリングロードから少し離れた所に何もない田舎道からすると不釣り合いな大きな建物があるのに気づいた。早朝の薄暗い時に最初に観たこともあるが建物も暗い焦げ茶色で陰気な雰囲気があり、規則正しく並んだ窓も廃墟に穿たれた孔のように見えて刑務所か何かではないかと思っていた。

 何度も遠くから眺めていて気になったのである朝、少し明るくなってから近くまで行ってみることにした。すると何とそこは自分が通っている会社の独身寮なのだった。しかも寮としては最も新しい建物で一階部分にガラス張りのサンルームになった食堂まであるのだった。早朝、薄暗い中で最初に観た刑務所のような印象とはまったく違ったものだった。

 

2007年一日旅 ロードバイク鎌倉行き 5

 古我邸の前から鎌倉駅西口に出て同級生の店を探し当てるが同級生は江の島店に戻ったとのこと。小町通りを抜けて海へ向かい江の島へ戻ることにする。

 腰越から江の島口へ抜ける江ノ電沿いの道を走っているとシラス丼の幟が幾つも出ている。そこでそのうちの一つの蕎麦屋へ入ることにする。

 シラス丼を頼んで待っていると「相席でいいかい?」と声を掛けてきた老人が居た。他にも席は空いていたので話がしたかったらしい。近所に引退して棲んでいるというその老人は、戦争の時、疎開でこの地に最初にやってきて、その後東京でアパレル関係の商売をして、その後引退してこの地に戻ったらしい。慶応の系列の学校らしいカイセイ辻堂という学校に行っていたようで、その時に、厚木高校の生徒とボクシングの試合を東神奈川のスケート場でやったという話になった。老人はシッタカを肴に一合の燗を空ける間ひとしきり話をしていった。腰越から江ノ島口へ向ってすぐの川邊という蕎麦屋だった。店を出てからは、一気に帰途につく。6時間弱の間、5時間強を走っていた計算になる。距離にして100kmちょっとといったところだった。