宝塔山古墳から降りてきてすぐのところにあった総社資料館というところには話し好きな管理人なのか案内人のような老人がいて、やっと話し相手が見つかったとばかりに延々と説明をしてくれる。その老人を振り切って民具などを展示している別棟に行ってみると、もうひとりの古手の案内人で、もっと歳を取った老人が出てきて呂律の回らない口調で延々と養蚕の話を始めた。妻は大人しく聞いていたが、私は奥の方の昭和初期から中期ぐらいの三様の生活様式を飾ったコーナーを見つけて写真を撮ってくる。
最初は蛍光灯が普及し始めた事とあって昭和30年から40年頃のようだった。脚のついたブラウン管式テレビや電気釜と呼ばれていた炊飯器やニクロム線の電熱器など私でも微かに記憶のある電化製品が出始めた時代だった。
次は昭和初期の頃らしく、竈に乗せてご飯を炊くお釜、炊けたご飯を移すお櫃、焼けた炭を持ってきて暖を取る手あぶり火鉢など、見たことはあるが使った生活実感は殆どない家具が並んでいる。鴨居に掛かった布製のズック鞄は中学生時代に使っていた人を数人ぐらい見たことがある。
その次は更に時代が遡って江戸から明治ぐらいの生活様式らしく、油で火を点けるランプ、囲炉裏に鍋を吊るす何という名前か判らない吊り手などがある。酒を飲むのに使う徳利はテレビの時代劇でしか見たことがないものだった。