この時の旅行はそもそも油屋旅館に泊まることが目的だったので、あまりあちこち周ることはしていない。そもそもまだ関越も東松山の森林公園までしかない時代で、国道17号を延々と走らねばならない。碓氷峠を登って軽井沢に入っても旅館のある信濃追分は更にまだ先だ。旅館に着くまでに相当時間が掛かった筈だ。
油屋旅館は調べてみると、元々は旧脇本陣で、火災によって焼失した後、今の場所に移転してきたのが昭和13年となっていた。この復興にも堀辰雄が一役かっているようだ。私達が訪れた際に既に由緒ある昔ながらの和洋折衷の建物という感じだった。その後、一旦旅館としては廃業して文化施設として使われてきたようだが、割と最近、また宿泊が出来るようになったらしい。