昨日は広野、木戸と過ぎ、竜田の手前までやってきた。依然として常磐線の復旧していない区間だ。
2011年3月、東日本大震災。あの時は関東地方に棲んでいる私自身の身の周りでも色々大変だった。地震発生から一週間、会社の事務所には私一人以外は誰も出社しなかった。家から歩いてもゆける私とは違って、電車通勤者には電車が動いていなかった。車やバイクを使おうにもガソリンが満足に供給されていなかった。尤も電気の供給もおぼつかなかったので、サーバー保護の為、殆どの時間帯でコンピュータネットワークも機能していなかったので、会社に出てもする事が殆ど無かったかもしれない。
一週間、独りぼっちの事務所と自宅を毎日数回往復する日々を過ごした後、土日に続く月曜に休みを取って、家族四人のシンガポール旅行へ出掛けたのだった。
その旅行は年始にいち早く予約しておいたものだった。地震発生直後から殆ど旅行実施は諦めていた。しかし一週間経過でだいぶ電車が動く路線が増えてきたのと、一人で留守番をして皆の連絡係を勤め、事務所の代表として一人で対策連絡会議に参加してきたのに疲れて、ご褒美として行かせて貰ってもいいかと思い始めたのだった。
成田空港まで辿り着くだけで大変だった。特急はどの路線も殆ど稼働していなかった。時間に相当の余裕を持たせて、各駅停車で千葉の田舎をじわじわと進んでいったのだった。
冒頭の写真は出発当日の空港出発ロビーの様子。便も確定出来ないまま、乗れる便を待って空港ロビーの床で寝泊まりしている日本脱出組の外国人帰国難民の群れがそこにはあった。