三ノ宮を出て、神戸、兵庫と越え、須磨まで到達した。
須磨というと最初に思い浮かぶのは何だろう。源氏物語か・・・。源氏物語をちゃんとは読んでいないので、須磨というのがどんな話なのかは知らない。
憶えているのは「いずれのおおんときか・・・」という例の桐壷の最初のくだりだけである。誰もが高校の古文で習うあれである。
ネットの力を借りて調べてみると、須磨という場所は昔は辺鄙な場所だったらしい。だいたいが流される場所として使われていたようで、光源氏も蟄居するのに追いやられた場所ということになっている。菅原道真も大宰府に流される途中で寄っている。しかも、またしてもこの地で恨みごとを言ったら松の樹が京から飛んできて、飛松という名勝だ出来ている。よっぽど樹を飛ばす力があったようだ。
平家物語、源平合戦記では、義経の有名な鵯越(ひよどりごえ)の逆落としの場所であるという。鎌倉が海以外は四方を山に囲まれ、攻められ難い場所であったのと同じで、急な崖に囲まれた本当は攻め難い場所だったので平家も安心しきっていて、油断があったということだろう。
平家物語と言えば、那須与一の舟の上の扇を射抜く話をすぐ思い出すが、那須与一の墓というのも、この地にあるそうだ。ポートピアの1980年代から一気に平安、戦国時代に舞い戻った感じだ。