須原を出て、大桑、野尻と過ぎ、十二兼(じゅうにかね)という所の一歩手前である。
東海道の時に、出発してから54日目ぐらいに京都に到達し、ああそれで53次というのだなと納得したのだった。しかし冷静に考えてみれば、宿場が53あったというだけのことだ。いま、一日一万歩を目安にしている。それ以上あまり歩数を稼ぐと膝を痛めるというのが判っているからだ。しかし、一日一万歩は歩くことだけを生業とすれば、そんなに多くない。健脚ならばその2倍、3倍は軽く稼げる。してみるとこれはどういうことだろうか。
画像は、鳥居峠越えをした時の山道だ。こんな道ばかりだったら一日一万歩稼ぐのがやっとということだったのだろうか・・・。