2004年6月、梅雨の合間を縫って結婚当初暫く棲んでいたE市を散策してみることにした。
結婚したのは就職して4年目だったが、同期の仲間は殆どが結婚すると会社の社宅に入っていた。しかし社則で夫婦共稼ぎだと社宅には入れない規則があったので、二階建て長屋のアパートに住むことになったのだが、そこを訪れてみると建物そのものが無くなって一軒家二棟に建て替わっていた。
近くに似たようなアパートがあってつい懐かしくて写真を撮ってしまった。アパートの向かいは大手化粧品メーカーの厚生施設になっていたが、そこも無くなって大型マンションに建て替わっていた。
散歩でよく出掛けた国分寺跡の広場も寄ってみたが、昔と同じように子供を遊ばせる若夫婦の姿が見られる。小学生の社会科の事業の時に全国に国分寺というのがあって、E市のもその一つだと教えられたのを思い出す。結婚当初の頃は駅前からずっと水田が広がっていたが、今ではもう殆ど見られなくなってしまった。E市の水田が南北碁盤の目のようになっているのも奈良時代、平安時代の条里制、条坊制の名残なのだと教えられたのも小学校の社会科でのことだった。