昨日は川端から滝ノ上、十三里と超え、新夕張までやってきた。日高本線上では、豊郷(とよさと)を過ぎ、清畠(きよはた)まで到達した。
真空管ラジオとのつきあいは、別にもあった。小学校の高学年になってからだと思うが、クラブ活動をするようになる。運動系は苦手だったので物理部に入った。物理部といっても、やる事は三球真空管ラジオの制作だった。先輩が居たと記憶しているので、4年か5年の頃だったのだろう。まず回路図を覚えることから始めた。何度もノートに書き写して、諳で書けるまでになった。真空管名も6Z-P1など、呪文のように頭にこびりついている。ハンダ付けの仕方もこの時に習った。
抵抗器の読み方を覚えたのも、この時だったと思う。抵抗器には4本か5本の色分けされた線が引いてあり、色が数字を表しているのだ。もう全部は憶えていないが、確か茶色は1で、お茶を一杯と覚える。赤が2で、二人の赤ちゃん、緑が5で嬰児(みどりご)、紫は7で、むらさきしちぶと覚えるのだった。
この辺りから発展して、アマチュア無線などラジオ少年に進展してゆくのだろうが、私の場合は三球真空管ラジオで終わってしまった。