norimakihayateの日記

バーチャル旅日記からスタート。現在は私の国内旅行史に特化しています。

智積院・長谷川等伯

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 バルテュスの次は長谷川等伯だ。これも京都の旅に出る直前に京都紹介番組で知ったものだった。

 

 京都駅を出て七条通りを東山方面に向かうバスが三十三間堂のところで東大路通りに曲がる。東山七条の交差点だ。その南東側に広大な敷地で接しているのが智積院というお寺になる。読みはちしゃくいん。何度頭に入れてもすぐに読み方が判らなくなる。

 

 秀吉が幼くして亡くなった我が子、鶴松を弔う為に建てた祥雲禅寺だったが、家康の時代になって、秀吉が焼き払った根来寺という真言教学の学僧たちに寄進する。そして出来たのが智積院だ。周りに清水寺三十三間堂などメジャーな観光地があって埋もれてしまいがちだが、利休好みの日本庭園、現代の画壇の第一人者、田渕画伯による襖絵に飾られた講堂など見応えのある場所も多いのだが、圧巻は桃山時代に狩野派に対抗して独自の画風を確立した長谷川等伯による絢爛豪華な障壁画だ。

 

 雪舟の流れを汲む画壇の天才ではあるのだが、それだけではなく、障壁画の受注を巡って狩野派と争い、お互いに陰謀を尽くしたといういかにも生々しい噂話も伝わっている。祥雲寺智積院に収められている桜図は、等伯の息子久蔵により25歳で完成させたものだが、翌年26歳で急逝する。その翌年亡き息子の哀惜の念を振り切って完成させたのが桜図と対を為す等伯の楓図とのこと。いずれも見応えのある迫力でせまってくる。

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