京都を出て二日目。高槻というところの一歩手前まで来た。高槻と言えば戦国時代の武将、高山右近が領主をしていたところだ。高山右近はキリシタン大名として有名で、彼が同時代の武将、細川忠興にキリスト教のことを話したことが妻、珠が入信するきっかけとなる。珠とは細川ガラシャのことだ。
ガラシャ夫人は、父、光秀が起こした本能寺の変という謀反のせいで夫に幽閉されることになる。幽閉中に忠興は側室に子供を作り、それが後の細川元総理の祖先となる。一方のガラシャ夫人のほうは、皮肉にも夫から聞いたキリスト教のことから、幽閉中に密かに洗礼を受けるのだ。ガラシャ夫人の波乱の人生はそれだけでは終わらない。壮絶な最期を迎えることになるのだ。
彼女の辞世の句はこれだ。
散りぬべき時知りてこそ世の中の 花も花なれ人も人なれ
高山右近のほうだが、私もカトリックの家に生まれた信者であるが、高山右近という人物については、名前だけは知っていたもののどんな人かはずっと知らずにいた。
小学生の頃、教会で或る時から突然、高山右近の列福を求める祈りというのが、毎日曜のミサの初めだったか終りだったかに唱えられるようになった。列福というのがまず何だか判らない。何か偉い人で、その人にお願いをする祈りぐらいにしか思っていなかった。
列福というのは、キリスト教の聖人に準ずる者として名を連ねることで、最終的にはローマにあるバチカンの教皇が認めて初めてなることが出来る。キリシタン大名であった高山右近を聖人として認めて欲しいという悲願の祈りだったのを知ったのはつい最近のことだ。