さて、東京を出て二日目となる昨夜までで、2万5千歩を超え、鶴見辺りまで到達
出来たようだ。品川を出て大森を通過する。大森というと、馬込、池上という地名が
浮かんでくる。
池上には、先に泉岳寺と間違えた( らしい)池上本門寺がある。ここには一度だけ
馬込の旧三島由紀夫邸を探索に行った際に訪れている。丘の中腹にあるその謎めいた
洋館から坂を降りてくると川端龍子のアトリエ兼屋敷跡を配した美術館がある。
この界隈は時間をタイムスリップしたような異次元の世界が広がっている。
品川から鶴見に掛けての辺り、江戸当時からある本物の東海道は、鎌倉の小町通り
ぐらいの細い路地である。大学を卒業して最初に会社に就職した際に、私に就いてく
れた最初の上司は、実家がこの東海道沿いの大森あたりにあった町工場をやっている
と話してくれたことがある。いかにもそんな町工場のせがれという雰囲気のひとで、
腰に手拭いを下げ、鉛筆を耳たぶに挟んで仕事をするような人だった。
鶴見には昔、曾祖父が棲んでいて、正月になると毎度、新年の挨拶に家族総出で、
出掛けたものだった。祖父を通り越して曾祖父なのは、祖父は戦争で亡くなっている
からである。記憶に微かにある曾祖父は、矍鑠とした眼力のある老人で、この京浜工
業地帯の運河沿いにあった、古くからある電機メーカーの技師だったそうで、幼かっ
た私に、モーターから分解した強力な磁石とか、試験管、フラスコなどといったもの
を玩具として時々呉れたりしていた。技師というより、エンヂニアという言葉が似合
いそうな人だった。