norimakihayateの日記

バーチャル旅日記からスタート。現在は私の国内旅行史に特化しています。

原爆を経験した原戸籍

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 昨日は市布というところを出て、肥前古賀、現川と越え、浦上のちょっと手前までやってきた。市布を出たところで諫早市から長崎市に入る。

地図を観ていたら、浦上の手前に西浦上という駅がある。しかし自分が時刻表から写した営業キロリストには西浦上という駅は無い。しかも西浦上を通っている線路に長崎本線と書いてある。あれっ、間違ったかなと思って調べてみたら、長崎本線には旧線と新線があり、市布などを通ってきたほうが新線とのことだ。喜々津から長崎に至るにはどちらの路線を経由してきたかで運賃が異なるという。しかしスイカを使うと同じ最短距離計算の運賃になるという。どっちにしろ今一つ納得がいかない。JRの運賃体系はとても判り難い。

 

 冒頭の画像は、これまでの何度か触れている父方の原戸籍である。家督を継いでいた祖父の長兄にあたる人を筆頭戸主とする籍で、家督を継いだのが明治44年とかろうじて読めるので、その時に初めて作られた戸籍ということになる。最後の記載が筆頭戸主の孫にあたる人の死亡届で、昭和20年9月11日受付で死亡日はその前月8月9日午前11時と読める。まさしく長崎原爆投下の瞬間である。本籍地は大正9年と大正12年に住居表示変更があって、長崎県西彼杵郡浦上山里村から長崎県長崎市本原町に変わっているが、爆心地浦上天主堂からほんの数百mの場所である。

 字体は時期により様々変わっているので、おそらく原爆を経験した原簿のコピーと思われる。何度観ても戦慄を感じずにはいられない戸籍である。