いよいよ博多を過ぎ、南福岡の先まで達した。
博多と言えば、博多出身の有名人を思い出される。タモリ、松田聖子が一番の有名どころだろうか。そしてチューリップ、チェッカーズ、甲斐バンドなども居る。最近世間を騒がせたチャゲ&飛鳥も博多出身ではなかったろうか。
何と言っても忘れていけないのが武田鉄也と海援隊だろう。武田鉄也は母に捧げるバラードの大ヒットの後、ずっと売れない時代が続いていた。それが、山田洋二監督の映画、幸福の黄色いハンカチのキャストで抜擢されたことで俳優の道に目覚めることになる。
幸福の黄色いハンカチは1977年に封切りされたそうだが、初めて観たのは随分後になって、テレビでの放映でだった。マツダの赤いファミリアが使われていて印象的だった。ちょうど若者が車が持てるようになるきっかけになったようなファミリーカーとして登場したのだったように思う。ちょっと小さ目の乗用車が流行りだし、本田にシビック、トヨタにスターレット、日産ではマーチなどが登場した。
映画・幸福の黄色いハンカチは、ヒット曲・幸せの黄色いリボンととても紛らわしい。幸福と幸せ、ハンカチとリボン。ハンカチはハンケチだったかハンカチーフだったかすぐに判らなくなる。この二つは同じ話が元になっているが、幸せの黄色いリボンのほうが先だったように思う。歌のほうは、流行っていた頃から憶えていた。
I’m coming home and done my time
Now I gotta know what is and isn’t mine
I’ve really been in prizon and I know she hold the key
A simple yellow ribbon that she need to set me free
こんな感じの歌詞だった。(うろ覚えで多少間違っているかもしれない)
原作の小説でもあるのかと思ったが、誰が原作者かで裁判にもなったりして、結局、元は伝承である事が判ったそうだ。