西広島から出発して新井口、五日市、廿日市(はつかいち)、宮内串戸と過ぎて、阿品というところまでやってきた。この辺りは駅と駅の間隔がまた短くなってきた。五日市、廿日市と市が付く駅が続くが、五日市は広島市内 廿日市は廿日市市で、違う市に属している。
まだ地域的には広島市、或いは広島郊外に居る。広島と言えば何かと考えて吉田拓郎の名前が出てきた。ヒットしたかではなく、私が一番吉田拓郎らしいと思うのが次の曲だ。
笑ってるうよ・・・ (ガラスの言葉)
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吉田拓郎の楽曲は、坂崎幸之助ほどではないが殆どの楽曲をコピーして弾けるようになった時期があった。それほど吉田拓郎フリークだった訳ではなかったのだが。
私は5人兄弟の二番目の長男として育った。既に他界した姉とは60年代のポップスをずっと聴き合った仲だ。ビートルズのアビーロードも、オールドファッションドラブソングが入ったスリードッグナイトのアルバムも姉の持ち物だった。姉の影響が強く、私もどちらかと言えば洋楽派で、私自身はエルトンジョンのファーストアルバムや、キャロルキングのつづれ織りなんかをよく聴いていた。すぐ下の妹は伝説のフォークコンサート、野音・唄の市の二枚組LPを持っていた。その下の弟はレコードはあまり持っていなかったが、吉田拓郎、アリスの熱烈なファンだった。そして一番下の妹は何故かRCサクセションの熱烈なファンだった。それぞれに好みは異なってはいたが、お互いが影響しあい、レコード他の楽曲も共用していた。吉田拓郎の殆どの楽曲を弾けるようになったのも、弟の影響によるものだ。ビートルズの殆どの楽曲の歌詞を諳らで歌えるのも姉の影響だ。