三石から吉永を越え、和気(わけ)というところまできた。
和気は、奈良時代の貴族、和気清麻呂(わけのきよまろ)から来ているという。所謂出身地ということだろう。
和気清麻呂。この名前、確かに高校の日本史で習った憶えがある。が、何をした人なのかさっぱり記憶にない。藤原仲麻呂(ふじわらのなかまろ)というのも名前だけは憶えている。
調べてみると和気清麻呂、藤原仲麻呂、弓削道鏡(ゆげのどうきょう)と三人が関係している宇佐八幡宮神託事件というのがあるそうだ。誰を次の天皇にするかということで、ご神託があり、それが嘘だ、本当だということで、人が流刑にあったりしている。諸説あって、どこまでが史実でどこからが神話伝説の類なのかよく判らない。そんないい加減な話を習ったのだろうか。今となっては、教科書も資料も何も残っていないので、高校の日本史授業でどんな話があったのか、確かめる術もない。16、17歳ぐらいの若者に日本の古代史を教えることの意義というものに首を傾げてしまう。まるで現代のSTAP細胞がある、ないの学術的でない議論をマスコミから聞かされているのと同じ気分だ。
(画像は前出のもので、安倍の清明の伝説の絵であるが、雰囲気が近いのでまた使ってしまった。)