norimakihayateの日記

バーチャル旅日記からスタート。現在は私の国内旅行史に特化しています。

2004年一日旅 谷中界隈

 2004年の10月中頃の土曜日、突然谷中界隈を歩いてみようと思い立ち妻と出掛けることにする。

 往きの電車の中で、日暮里から墓地を巡って、大名時計博物館を見て、谷中商店街に戻るコースと決めていたので、山手線で日暮里に向かう。

 日暮里駅には、それっぽい年寄り連中が多い。地図を片手にこれから散策を始めようという団体ばかりだった。

 駅を出てすぐのところから谷中墓地に入る。思ったより古い由緒ある墓ばかりだった。徳川慶喜の墓を目指して行ったのだが、途中、小平浪平と刻まれた立派な墓を偶然見つける。確か日立製作所創始者の一人だったと思って墓碑を見たらやはりそうだった。

 その少し先には役者の長谷川一夫の墓があるそうで、人だかりを集めていた。

 

2004年一日旅 不動尻

 2004年の8月終わり頃、夏休みがそろそろ終わり自由研究の題材に困っていた小学生の息子の為に山奥のキャンプ場までドライブに行く。この地域でよく採れるというセラドナイトという石を拾いに行ったのだ。

 山奥の細い林道をずっと登っていったところに弁天の森というキャンプ場跡があって、その辺りで採れるという。エメラルド色に近い薄青緑色の石で、さほど硬くはなくて砂岩の一種なのだろうが、独特の色合いをしている。

 

2004年一日旅 相模線 8

 相模線の旅は最初に乗り込んだ海老名を通り過ぎ厚木駅までとすることにした。昭和の駅舎とどこまでも続く田園風景に別れを告げ、いきものがかり小田急線に乗り込むと、世界がふっと変わった気がした。

 駅構内で見つけた麦とろ飯の店で少し早めの昼を採っていくことにする。コロッケ付きの麦とろ定食は相模線の旅に似つかわしい少し懐かしい味がするような気がした。

 

2004年一日旅 相模線 7

 相武台下の駅を出て更に二駅進んで、原当麻という駅まで行ってみる。相模線沿いにずっと流れている相模川の写真を撮ろうと思ったのだ。しかし意外に相模川がはっきり見える場所は少なく、一瞬ちらっと見えただけだった。

 原当麻の駅で反対側のホームに戻る茅ヶ崎行きの電車が入っていたので、そちらに乗り換える。

 

2004年一日旅 相模線 6

 相武台下の駅は昭和の時代の懐かしい雰囲気の残っている駅舎だ。改札はパスモ、スイカなどの自動改札になっているが、駅員が昔立っていたブースの名残りのようなものもある。

 駅舎はサイディングの板張りで昭和の頃の典型的な造りだが、当時はコールタールを塗った焦げ茶色の壁というのが定番だった筈だ。白いペンキを塗ってあるのは現代風にしたものだろう。

 この相武台下は小学校低学年の時に一度だけ来たことがある。バスの終点になっていて、途中の郵便局で降りる筈だったが、降り損ねて終点のこの駅まで来てしまったのだ。郵便局へはその当時大流行していた切手収集の為にその日新発売になる記念切手を買い求めにいくのだったと記憶している。運転手に話すと丁寧に折り返しのバスに乗せてくれたのだった。

 

2004年一日旅 相模線 5

 次にやって来た橋本行きの電車に乗って次の相武台下という駅まで行ってみる。当初の目的地だ。相武台下はホーム一本だけの小さな駅だが、単線の相模線が上りと下り電車がすれ違う駅らしくホームの両側に線路があって駅舎との間に跨線橋がある。線路を歩いて越えれば跨線橋は要らないのではという気もするのだが、電車に乗り遅れそうになった乗客が走って線路を渡ったりすると事故の元になるというので付けたのだろう。

 ホームには「そうぶだいした」と平仮名で書かれた藍色のホーロー看板があった。コンクリートの柱にアルミの細い板で留められていたが、四隅に釘孔があって、当初は木造の柱に打ち付けられていたものなのだろう。ホーロー看板は町田忍という研究家が写真集を出しているが、この駅が出来た頃にはそこここにキンチョーの蚊取り線香やオロナミンCの宣伝看板が貼られていた筈だが、今では駅名を示す看板に昔の名残として残っているに過ぎない。

 跨線橋が繋がる駅舎は昭和初期に建てられたものらしい、木造のとてもレトロなもので私にとってはとても懐かしい感じのする風景だ。

 

2004年一日旅 相模線 4

 入谷駅で一旦電車を降りて次の電車を待っている間、テンガロンハットにミニスカートの女の子と、浴衣を羽織った男の子という如何にもヤンキー風のカップルがやってきた。相模線に乗ってどこかの夏祭りの花火でも見に行くという感じだった。映画、下妻物語から飛び出てきたのではないかと思うような若いカップルだった。

 下妻物語は観ていないと前に書いたのだが、所蔵しているDVDのリストを偶々見ていたらダビングしたものを持っていることが発覚した。映画化された後、テレビで放映されたのを録画したのだろう。それを発見したら観たような気がしてきた。ストーリーは完全に忘れてしまっているのだが。