norimakihayateの日記

バーチャル旅日記からスタート。現在は私の国内旅行史に特化しています。

怖い街 デトロイト

f:id:norimakihayate:20170712093718j:plain

 デトロイト対岸のカナダ側の街はウィンザーと言った。ウィンザーに渡るには地上の橋を渡るか、地下のトンネルを通るかする。どちらにも税関と入出国管理所がある。我々は往きは地下のトンネルで越え、帰りは夜景を愉しみながら橋を渡るという選択をした。

 怖かったのはデトロイトダウンタウンを抜けてトンネルに入るまでのフリーウェイ。片側4、5車線の道路だが、かなり埋まっていて軽く渋滞している。その当時で既にデトロイトはスラム街化していて、やたらに黒人が多かった。ちょっと頭のイカレタ様なのが徒党を組んでオンボロのアメ車に箱乗りなどしていて、罵声を挙げている。駐在員から相手と目を合わせない事、着くまで絶対に窓など開けないことを注意された。

 今日の画像は直接関係ないが、オンボロアメ車のイメージ画像。

 

あっと言う間の当日

f:id:norimakihayate:20170711095246j:plain

 結局デトロイトの駐在員事務所には三日間居て、初日が資料作り、二日目はプレゼの本番をやる現地雇いの米人が私用で途中から帰ってしまったので代役の米人を使ってプレゼの練習。三日目は午前中プレゼの最終調整をやって午後にF社に赴き本番となった。プレゼは米人にやって貰ったものの質疑には答えられないので、この応答は殆ど私が受け持つことになった。それでもF社側の技術者たちのブッキングの関係で別の会議があるからとあっと言う間に終わってしまう。アテンドしてくれた現地駐在員は米人、日本人とも夕方の野球観戦の接待があるからと行ってしまい、残こされた我々出張者は夕食に出て、その後カナダへ行こうということになる。

 デトロイトから河を渡るともうすぐにカナダになる。14年前に初めてデトロイトへ出張した際にもカナダへ渡っているが、その時はF社からの食事の招待だった。今回は我々出張者と日本人スタッフのみで、カジノかストリップに行こうという話になる。対岸のカナダには中国料理店かカジノかストリップしかないのだという。私はポールダンスがメインのストリップにしようと申し出たが、同行のK氏に押し切られてカジノへ行くことになる。最初から500円だけと決めてスロットマシンなどをやったが、あっと言う間にすってしまう。駐在員のK君だけが2500円ほどに増やしていた。

 今日の写真はデトロイト側のビルの屋上からカナダ側を撮ったものだが、この時の写真ではなく14年前の最初の出張時に撮ったもの。

 

駐在員事務所の現地スタッフ

f:id:norimakihayate:20170710172548j:plain

 ノバイにあった駐在員事務所には現地スタッフは5人前後居たと記憶している。しかし定着率はとても低く、半年で離職するなんていうのはざらだったようだ。日本人スタッフも任期は数年で交替する。私達が出張で訪れた時に事務所に最年長で居たのは空港へ迎えに来てくれたK君で2年勤続で最長だった。

 現地スタッフと撮った写真は無かったのだが、その当時の社内誌に載っていた写真があった。おそらく秘書と思われる女性は我々が行った時とは別の人に変っているが、他の所員は我々の出張時には居た人だ。F社と商談をするのに最初のプレゼは現地スタッフに内容を事前に教え込んでやって貰った。画面一番右側の男だ。事務所に勤め出して1年は経過していないとの事だった。結婚したばかりで、プレゼの準備中に家の用が出来たというので途中で帰ってしまったりもしていた。一番左の男が事務所で一番若く、我々にもとても親切にしてくれた。この写真に写っている全員がおそらくもう事務所には居ない筈だ。

 

PC持参の初めての海外出張

f:id:norimakihayate:20170709094506j:plain

 2000年の米国出張では初めてノートパソコンを持参している。まだ会社内で個人所有のPCの使用が許されていた時代だ。というより、まだ会社のPCが一人一台までは行き渡っていない時代で、個人で購入して持ち込むならどうぞという感じだった。

 私はちょうど前年まで会社内でも使っていたマッキントッシュの重いノート型190CSを落として壊してしまい、個人用に初めてウィンドウズ機を購入したばかりだった。パナソニックLet’s noteシリーズのA44というタイプで当時は確か最軽量を誇っていた。通信はPCカードのモデムにモジュラージャックの電話線を繋いで行っていた。各プロバイダーがあちこちにアクセスポイントという中継基地を持っていて、そこへ電話を繋いで通信するという方式だった。会社がアカウントを取ってくれていたプロバイダはニフティで、海外ではニフティはコンピュサーブというプロバイダと提携していて、米国内にはこのコンピュサーブのアクセスポイントが幾つもあった。私もホテルの電話線を外してPCの通信カードに接続し直し、会社や同僚に状況報告などのメールを送っていた。

 

ノバイ 現地駐在員事務所

f:id:norimakihayate:20170708115855j:plain

 デトロイトに着いてすぐ、駐在員の車で事務所へ連れていかれる。到着当日は市内見物でもしてと思っていたのだが、駐在員達にはそんな感覚は一切無かった様で、すぐにF社との商談の準備に取り掛からされる。

 デトロイトの現地駐在員事務所はノバイというところにあった。英語での綴りはNOVI。名前の由来はナンバー6から来ているという。VIはローマ数字の6を示しているからだ。何の6番目なのかは諸説あるらしい。

 日本人のスタッフが所長以下6、7人ほど。現地雇いのスタッフは男女合わせて5年ほど居たと記憶している。着いた当日の昼は事務所からほど近い中国料理店に連れていかれる。偶々事務所のウェルカム&フェアウェルパーティを兼ねての昼食だった。ジムという新しい男性スタッフが雇われ、ダイアンという事務関連をやっていた女性スタッフがその日で辞めるとの事だった。ダイアンを観て、ちょうどその頃やっていたテレビドラマ、ツインピークスに出ていたローラパーマーをちょっと太らせたような金髪の女性と当時の日記には記されていた。今日の画像は我々出張者二人と現地日本人スタッフのみで撮った記念写真。デトロイトで残っている写真はこの一枚しかない。

 

デトロイト到着

f:id:norimakihayate:20170707120418j:plain

 2000年のデトロイトへの出張はあまりはっきりとした記憶もないし、資料も殆ど残っていない。商用出張なのでカメラも持参していなかったので写真も殆ど残っていない。かろうじて日記に残っている記載によれば、午前11時に成田を立って、同じ日付の午前10時にデトロイト空港へ到着したとある。初めてデトロイトへ出張したのは、その時より14年前の1986年で、シカゴ、オヘア空港経由だった。しかし2000年の時はデトロイト直行便だった気がしている。もうサマータイムに入っていたとすると13時間ぐらいのフライトだったことになる。計算が合っていればだが。

 デトロイト空港には同行のK氏の嘗ての部下で、その時は現地駐在員だったK君が車で迎えに来てくれていた。

 

ノースウェスト航空 アップグレード

f:id:norimakihayate:20170706115126j:plain

 システム開発担当の同僚と横浜駅で落ちあい、始発の成田エクスプレスで成田へ向かう。4泊6日の予定だったので、私は布製のバッグ一つ。商用打合せなので往きから背広で、着替えは下着にYシャツ1枚のみの軽装だった。一方の同僚は大型サムソナイトのスーツケースに会社で借りたアタッシュケースという重装備だった。予約した飛行機はノースウェスト航空。往きはビジネスクラスに空きがあったのでアップグレードする。出張は無事GOが出たので、ビジネスラウンジに入って生ビールを呑んだ後、11時発の便に搭乗。ボーイング747ジャンボ機の初めて乗る二階席だった。

 

f:id:norimakihayate:20170706115147j:plain