今日で1997年のプーケット旅行は終りにする。プーケット空港はこじんまりしていて、何となく懐かしい感じのする空港だ。やってきたのは1993年の時とで2回だけなのだが、何度も来た気がする。
飛行機はバンコクまでは例によってタイ航空だ。バンコクからは米国のユナイテッド航空になるので何かと比べてしまう。バンコクではユナイテッドのカウンタで散々待たされる。往きの便でもユナイテッドからタイ航空への乗り換えで散々待たされた記憶もある。それでも何時かは時間が来て、夜間飛行で成田を目指すことになる。
七日間滞在したプーケットのラグーナビーチホテルでの最終日は忙しかった。午前中二度目のヨット体験に挑戦し、その後プール。午前中の終りに二つ取ってあった部屋のうちのひとつだけチェックアウト。午後はスカッシュで汗を流してから部屋でシャワーを浴びて約束の3時に最後の部屋のチェックアウトをしてから送迎の案内人の待つホテルロビーへ。慌ててチェックアウトした為にポケットに入れていたセイフティボックスの鍵を返し忘れた。青色のビロードの袋に入ったかなり大型の機械式の鍵だったが、それを持帰った事に気づいたのは日本に帰ってからだった。現在主流の暗証番号の電子式と違って、当時はまだ機械式の鍵だったのでそんな事もあったのだろう。ホテルから問合せでもあれば郵送しようと思っていたが、何の連絡も来なかった。ずっと押入れの奥に鍵を入れたまましまっていたと思っていたが、先日出してみたら、中には既に鍵は無く、使い残しの外国の硬貨が幾つか出てきた。画像にあるものはタイの国王の肖像付きの2色の10バーツ貨だ。
プーケットのラグーナ・ビーチクラブというホテルがあった場所の近くには、いわゆるラグーンと呼ばれる湖のような環礁が幾つもあって、それぞれが運河で繋がれていて、各ラグーン毎に幾つかの大きなリゾートホテルが建てられていた。それらのホテル間を行き来するのに、ほぼ真四角な箱舟が水上バスとして使われて定期的に行き交っていた。運転していたのはジャニーズ事務所のタレントみたいな現地の若者二人だった。水上バスはホテルが運用していて、利用は只だったので、ラグーンの一つの岸にあるカナル・ヴィレッジというショッピングセンタへ買い物に行ったり、別のホテルのプールへ泳ぎにいったりしていた。行き来はこの水上バスの他、ホテル同士が運用しているテュクテュクという乗合馬車のような乗り物で地上経由で行くことも出来た。
マリン・センターでカヌーを試した次の日は、ヨットに挑戦することにした。ヨットは会社に入ってすぐの年、会社にあったヨット部の講習会に参加して経験があった。ディンギーという二人乗りのタイプだったが、ラグーナ・クラブでも客に貸し出すのは主にこのディンギーというタイプ。二回目ということもあって、20分ほどの講習ですっかり勘を取り戻したので、インストラクター無しで娘と撮影役の妻、息子と四人乗りで出発。環礁の内部は波もないので、すいすい思うように操れた。それに気を良くして、翌日もヨットに乗ることにしたのだが、かなり風が強かった。講習は前日受けたからと講習の始まる10時半前にヨットを借りて漕ぎ出たのだが、風が強くてうまく操れない。それでそうそうに戻ることにした。岸に上がって振り向くと、後から漕ぎ出た人達が何艘も沈(ちん ヨットを倒してしまう事)しているのが見えた。
インドア・テニスの出来る体育館の地下にはスクァッシュのコートが幾つか並んでいた。スクァッシュのコートを生で観るのは初めての経験だった。入ってみると、エアコンがギンギンに効いている。寒いくらいだ。勿論やるのも初めて。ルールもよく判らない。しかし、見よう見真似でやってみるとなかなか楽しい。すぐに汗を掻いてきて、ギンギンのエアコンがちょうどいいくらいだ。反発係数の少ない球を思いっきり壁にぶつけるのが、何だかストレス解消に物凄くいいような気がした。