norimakihayateの日記

バーチャル旅日記からスタート。現在は私の国内旅行史に特化しています。

ユナイテッド航空

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 成田からタイのバンコク空港まで乗ったのはユナイテッド航空だった。この航空会社を使ったのは、この時が初めてで、2年後にもう一度プーケットへ行くことになり、この時も成田、バンコク間はユナイテッドだった。米国の大手航空会社だが、何故か米国出張には何度か出掛けているが、殆どがノースウェスト航空でユナイテッドを使ったことは無かった。

 航空会社のロゴは赤と青のUのマークをあしらったもの。しかし現在では地球儀のようなマークに変っている。調べてみると2002年頃にコンチネンタル航空と経営統合して経営刷新を行った際に、コンチネンタル航空側のロゴに統一したらしい。経営統合したのは2001年の9・11、世界貿易センタの同時多発テロでハイジャックされた後、急激に客足が落ち込んで破産しかけた為のようだ。会社の創立者はボーイングの創始者と同じというから、実にいろんな事があった飛行機会社のようだ。

 バンコク空港までは6時間ほど。時差が3時間あるので見かけ上は3時間で着いたみたいな格好になる。

 

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成田出発

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 ユナイテッド航空バンコク往きの便は昼前の11時位の出発だったが、2時間以上前にはチェックインしなければならず、成田へは2時間ちょっとは掛かるので余裕を見て6時前には家を出ていたと思われる。

 前年に初めて車で成田まで行って車を空港付近で預けるというのがかなり楽だというのを体験して、この時も自家用車を使うことにした。前年までは8人乗りのプレーリーという車を使っていたが、この時はミストラルという7人乗り車に乗り換えたばかりで、それを使う。乗員数は1人分減っているがミストラルのほうが車は大きく、大型スーツケースを二つ積んでも家族四人で余裕だった。

 最初のバリ旅行から数えて5回目の家族海外旅行だったが、年々成田で見掛ける子供連れの海外旅行家族は増えてきていて、子供等もすぐに空港で友達を作っていた。

 

8日間の旅程

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 タイ、チャ・アムビーチ8日間の旅は午前最後ぐらいの便で成田を立って、バンコクへ夕刻到着。バンコク市内のホテルで一泊することになる。そして翌日、タイの観光名所を幾つか廻りながらバンコクから南へ100kmほど離れた場所にあるチャ・アムビーチへバスで移動する。チャ・アム・リージェントホテルで5泊してから再びバンコクに戻り、今度はバンコクに泊らずに夜行便に乗って成田へ戻るという日程。バンコクで時間を使うのはちょっともったいない気がしたが、結構格安料金のツアーだったので仕方ないのかもしれない。

 飛行機もこの時はタイ航空ではなく、米国のユナイテッド航空だった。ユナイテッドはこの当時はパンナムを吸収合併して、アメリカでも最大手ぐらいの飛行機会社だった。世界中に便を飛ばしていたが、どんどん増えていく海外旅行者の争奪戦の時代で、かなりディスカウントした料金でツアー会社に便を提供していたのだと思われる。ユナイテッドはこの後15年ほど経ったところで連邦倒産法、所謂チャプターイレブンの適用を受けることになる。

 

1995年の家族海外旅行 再びのタイ

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 1995年の夏のバカンス旅行、毎年恒例となっていた家族海外旅行は二回目となるタイに決まった。いつものように妻が雑誌エイビーロードで選んだもので、今回はプーケットではなくチャ・アムビーチというところ。魅惑的なという意味のチャーミングのチャームかと思ったらチャとアムの間に句点が入るようなタイ語の地名だった。旅行会社は前年に続き最初のバリから数えて四度目となる信栄トラベルという会社で、ここなら何度も使っていて安心感があった。旅程は7月の最終週からの8日間。ちょうど会社で部署が変ってすぐの時だったが、古巣へ戻ったということもあって、1週間強の休みを取るのは気安かった。

 

バリ島・最後のトラブル

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 バリ島旅行での最大のトラブルは最後の日に起こった。その年の飛行機の便は変な設定で、出発便は午前中の出発なのだが、夕方ジャカルタで3時間待たされ、バリのデンパサール到着は深夜だった。もう店などは全く開いてないばかりか、空港の係官もまばらな状態。入国審査も殆ど無しに早く帰りたいから早く行けとばかりにフリーパスだった。

 帰りの便もホテルが夜の6時集合で、9時過ぎぐらいの便だったのだろう。デンパサールの空港へ行くと出国審査のカウンターで私たちのパスポートを見て、私だけが別室へ呼ばれる。入国審査の判が押してないというのだ。向こうもこちらも片言の英語で話がうまく通じない。とにかくこのままでは出国させられないと言うのは判った。入国スタンプが無いのはそちらのミスだろうと思うのだが、埒があかない。どうしようと思ったが、係官がちょっとこっちへ来いと、他人の居ない隅のほうへ私を引っ張る。それで(ははん)とガテンがいった。財布から10000ルピアだったと思うが、日本円で千円相当ぐらいだった気がする一枚の札をそっと出してこっそり手渡すと、係官がにんやりしてウィンクしてみせ、そのまま出国出来ることになった。不思議と腹は立たず、そういう国なのだと一つ学んだ気がしたのだった。

 

旅の終り

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 6日間のバリの旅は初日は深夜到着、5日目の夜には出発なので実質バリに居るのは四日間だ。それはあっと言う間に終りが来てしまった。5日目の夕方には荷物をパッキングしてバゲージダウンと呼ばれている荷物の引取にポーターに来て貰う。出発する客たちのスーツケースはバスの到着までロビーの片隅にまとめておかれている。そのすぐ横のロビーの奥にはガルーダ像を中心に置いて左右に名前の判らないバリの神々の石像が置かれ、その間はガムランジェゴグの演奏者の為のステージになっている。演奏していない時は楽器に触ったり、音を出してみたり、出来る。我々も荷物を出した後、そこで記念撮影をしている。その時置いてあったのはジェゴグという太い竹の筒で出来た楽器二台で、涼しげないい音がするものだった。

 

クタのプライベートビーチ

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 最初にバリに来たヌサドゥアのプトゥリバリホテルの時は、ビーチは完全にプライベートになっていて、物売りの立ち入りなどはかなり制限されていた。一方、ビンタンバリビーチはクタという結構な繁華街の中にあるせいか、ビーチのセキュリティチェックは鷹揚だった。実に様々な物売りが頭に籠を載せてやってきていた。バリの細密画売り、木彫り像売り、磨いたホラ貝売り、ろうけつ染めのパレオ売り等々だ。中には怪し気な、というか完全に紛い物のロレックスなども売りつけにやってきていた。砂浜に面した芝生に並べられたホテルのデッキチェアで休んでいる時には近づいて来ないのだが、砂浜を抜けて水辺へ出ようとすればすぐに寄ってくる。ホテルのガードマンと物売りの間には阿吽の呼吸があったようだ。

 

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