norimakihayateの日記

バーチャル旅日記からスタート。現在は私の国内旅行史に特化しています。

連日のディナーショー

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 ビンタンバリホテルでは、連日プール上のステージか、ビーチの砂浜でディナーショーが行われていた。メインダイニング手前の廊下に大きなポスターでその日、その日の出し物が一週間分掲げられていた。

 我々が到着した日は浜辺でのケチャックダンスのディナーショーだった。ケチャが始まる前には浜辺で盛大に豚の丸焼きが行われ、食事中に供されていた。

 次の日はプール上のステージでレゴンダンスのショーで、ガムランの幻想的な伴奏の中で、きらびやかな踊り子たちが舞いを披露する。

 他にはバリの伝統的影絵芝居であるワヤン・クリッや最初にバリに訪れた際に観たバロン・ダンスやインドに古くから伝わる神話を踊りにしたマハーバーラタとかラーマーヤナなどがあったようだが、全部は観切れなかった。

 ショーの最後はだいたい踊り子と記念撮影をする場が設けられて、我が家でも子供達が一緒に撮って貰っていた。

 

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ビンタンバリホテルのメインダイニング

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 ビンタンバリホテルはホテルの外にレストランが多くある街中にあるせいか、ダイニングはあまり多くなく、2階ロビーから見下ろせる1階のブラッサリという名の吹き曝しの部分と、それに面する形でガラス張りの海が眺められる部屋部分のふたつだった。料理も普通の西洋風の料理の他にインドネシアっぽいサテという焼き鳥、ナシゴレン、ミーゴレンといういわゆる焼飯、焼蕎麦、ソトアヤムというスープなどのエスニック料理も楽しめる。そして嬉しいのが、南国特有のフルーツがふんだんに用意されていることだ。スイカも多くとれるらしく、食用よりも飾りとしてのカービングや、ジュースとしてよく使われているようだった。

 

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プール内バー

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 ビンタンバリホテルのメインプールにはLeefという名前のプール内バーもあった。子供達は一日中でもプールで過ごしたがるので、付き合うことになると、ついついお酒も欲しくなる。シンガポールスリングキールロワイヤル、ギネスビールなどをちびちびやりながらプールサイドで昼寝というのが日課になる。ソフトドリンクでは日本ではあまりお目に掛からないアボガドジュースやスイカのジュースなどを愉しんでいた。

 プールではアクアビクスという体操もやっていた。ホテルのインストラクタがプールサイドにずらっと並んだ客たちに指導しながら音楽に合わせてエクササイズをさせるのだ。一日目はただ見学していたが、二日目には一緒に参加してみて、意外と楽しめた。

ビンタンバリホテルのコテージ

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 実はバリ島のバカンスは全部で四度行っている。なので、記憶だけで書いているとごっちゃになって、勘違いも多くなる。昨年末に最初のバリ滞在のことを書いていて、豊穣の女神デヴィスリの木彫り像を買い損ねて、帰りの空港で代りにレゴンダンスの踊り子の像を買ったと書いてしまったが、今になって調べてみたら、今書いている1994年のビンタンバリホテルの時だったことがつい最近判った。

 ビンタンバリホテルの部屋について書こうとしていて、やはり1996年の時の部屋と勘違いしていたことが、つい最近判った。1994年のビンタンバリホテルで割り当てられたのは、一棟で2家族が入れる一階建のコテージだった。前年の1993年までは一部屋でツインかダブルベッドの部屋にエキストラベッドを入れて貰ってという形だったのだが、1994年では7歳の娘と2歳の息子という風に子供も成長したので、隣り合った続き部屋2部屋にして貰っている。海外では部屋と部屋の間に施錠出来るドアが付いている続き部屋というのがよくあるものだが、この時は行き来出来るドアはなかった代わりにどちらも中庭に面したフレンチ扉の付いたベランダがあって、我々夫婦の部屋と子供達の部屋を庭を介して行き来することが出来た。7歳、2歳の子供達だけで一部屋というのは日本の旅行事情からすると何とも贅沢な部屋割りだが、この当時の海外旅行ツアーでは1部屋でも2部屋でも大して全体の額は変りなかったようだ。

 

クタ・ビーチの夕陽

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 前にも書いたが、クタはバリ島の西側にあって夕陽の名所と言われている。ホテルのプールを抜けて出たビーチが夕陽が見えるプライベートビーチになっていた、筈だ。クタのビーチのサンセットはわざわざタクシーで連れていって貰った記憶がずっとあった。なので、タクシーで行ったのはバリ初めての1991年のヌサドゥアビーチ、プトゥリバリホテルの時だったのだろう。1994年のビンタンバリホテルの時は毎日のようにこの夕陽を観に行った憶えがある。

 

プール上のステージ

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 ビンタンバリホテルの一番の特色は、ホテルのメインプールに半島状に設えられたステージではないかと思う。細長い瓢箪型のプールの中央部分にプールサイドから橋が渡されていて、プールに突き出す形でバリ特有の彫り物の飾りが施された四角いステージが設けられているのだ。夜になると、そこで様々なバリの伝統的舞踊などが演じられ、宿泊客たちはプールサイドからその演技を鑑賞するという形になっていたのだった。最初にホテルに到着した後の最初のホテル内の散策の際には、そんな事は判らず何の為にこんな形のものがプールにあるのだろうかと不思議に思ったのだった。

 

ビンタンバリホテル

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 1994年のバリ旅行の宿泊先はクタという街中にあるビンタンバリホテルだった。クタはバリ島の西側にあってクタ海岸は夕陽の名所になっている。ビンタンバリホテルは勿論プライベートビーチを持つ海に面したロケーションなのだが、バリの街中に立っている。入口はバリ特有の尖った対称形の二本の三角形の門の奥にある。門の外は車や人通りが激しい地区だが、門から建物まではかなりの距離がある為に、ホテルの中に居ると門の外の雑踏からは完全に解放されている。街まですぐ行ける所なのに街の喧騒からは隔離されている不思議な空間だった。