神埼を出て、伊賀屋というところを過ぎ、いよいよ佐賀へやってきた。
ピン芸人のはなわも歌っているが、佐賀県にしろ佐賀市にしろこれといったものがない。わざわざ訪れたい場所ではないが、一度だけ訪れたことがある。90年代の中頃、直属の上司だった人の父親が亡くなったので、会社代表で弔問する為に出掛けたのだった。以前に行ったことのある人から、電車で行くなら一泊になるが、飛行機を使えば日帰り出来ると言われた。しかし、飛行機も使って前泊することにした。ちょうど会社都合で地方都市に単身赴任させられたばかりだったから、あまり罪悪感はなかった。
羽田から福岡空港まで飛んで、地下鉄で博多へ出て前泊。翌朝、高速バスを使って佐賀インター近くのバス停で降りたった。高速道路の真下に田舎道が一本通っているだけで、何も建っていないし全くひと気もなかった。公衆電話が一台だけあって、そこからタクシーを呼んだ。もしこの電話が無かったり壊れていたりしたら途方に呉れただろう。
この弔問旅行では、博多観光を楽しんだ。本心はその為に出掛けたといっても嘘ではない。中洲の傍に明治を思わせる赤煉瓦の洋館が建っていた。旧日本生命九州支社跡で、重要文化財として見学が出来るようになっていた。私は実は洋館フリークでもあって、この時代の洋館は色々訪ねている。旧日本生命支社は予想した通り、東京駅舎同様、辰野金吾の手によるものだった。辰野金吾やその師にあたるジョサイア・コンドルの作品などには目が無い。
博多に着いた日はもう閉館時間を過ぎていたので、翌朝早々に再度訪ねていった。日記を観ると、ここで珈琲が呑みたかったが、朝早過ぎてまだ喫茶コーナーが開いてなかったとあった。佐賀よりも博多が印象深い旅行だった。