昨日は一ノ関を出て山ノ目と過ぎ、平泉まで到達した。
平泉と言えば中尊寺、金色堂だが、一度だけ訪れたことがある。正確に言うとその前まで行ったというだけだ。拝観料を取られると聞いて、坂の下から有名な覆堂を見上げただけで帰ったのだ。覆堂は、おおいどうとか、ふくどうとか、さやどうとも読むらしい。
記憶のショートと私が勝手に呼んでいる現象がある。何かと何かを取り違えて憶えてしまう現象だ。今年の4月19日の記事でも曽野綾子と三浦綾子を取り違える話を書いている。
今回、再び記憶のショートを思い起こしたのは、中尊寺の住職を有名な作家がやっていたと思いだし、誰だったかと思って思いついたのが菊池寛だったからだ。しかし実際には、菊池寛ではなく今東光だった。確か女流作家だった瀬戸内晴美が出家して寂聴になるのを導いたお坊さんだった筈だ。菊池寛と今東光。作家であるという他は、三文字の姓名で音読みする名であるぐらいしか共通点がない。
実は昨日の話題で、ドラマ夏の故郷を監督したのが寅さんで有名な山田太一監督と書きそうになった。何か違和感があって調べてみたら寅さんは山田洋二監督だった。どちらもテレビ界と映画界の大御所なので、いつの間にか一緒になってしまいやすい。
私の中で一番の記憶のショートは、社会派小説である山崎豊子の白い巨塔と、純愛小説の類の渡辺淳一の白い影(原作本の題名は無影燈)だ。ドラマ化された時、同じ田宮次郎が主演だったせいだが、この二つがどうしてもごっちゃになってしまう。財前先生と直江先生だ。相手役の女優もかたや山本陽子、かたや島田陽子と同じ陽子で紛らわしい。
最近ではノーベル文学賞の候補として村上春樹と村上龍がすぐごっちゃになってしまう。