norimakihayateの日記

バーチャル旅日記からスタート。現在は私の国内旅行史に特化しています。

2016-08-01から1ヶ月間の記事一覧

海外出張とクレジットカード

80年代前半での海外出張というと、初めて海外に行くという人が大半だった。初めて出ないのは新婚旅行でハワイやグアムに行ったことがあるという程度。海外出張が初めてだと、よく憶えていないが20万円から30万円ぐらいの支度金が支給されたのだったと…

夫婦旅行から海外出張へ

1982年の新婚旅行に始まって、4年の間に3度ヨーロッパへ夫婦で海外旅行をした。しかし1986年からは恒例のようにしていた夏の海外旅行は暫くおあずけとなる。妻が最初の子を妊娠したからだ。代わって1986年に初めての海外出張をする機会がやっ…

香港出発 旅の終り

香港出発の朝は雨だった。高層ホテルの部屋の窓は雨粒でけぶっていて、海の向こう側の九龍の海岸がぼやけて見えていた。 飛行場まで移動してタキシーングで離陸を待つ際に、何となく朝の雨(Early Morning Rain)という歌を思い出していた。日本ではフォーク…

香港の夜と朝

香港のホテルに着いたのはもう夜になっていた。チェックインしてすぐに現地案内人に連れられてホテルから歩いてすぐの所にあるレストランに案内される。驚いたのは、途中路地の薄暗がりの中で食事をしている人が居たことだ。それも一人や二人では無かった。…

香港到着

1985年のローマ・パリ旅行の最後の寄港地は香港だった。フランクフルトを夕刻立ったルフトハンザ機は、もう薄暗くなった香港・啓徳(カイタック)空港に降り立った。啓徳空港は当時世界一着陸が難しい空港と呼ばれていた。市街地のぎりぎりをアプローチ…

ルフトハンザ機で帰路へ

先月の二日にも書いているのだが、1985年のローマ・パリの旅はアリタリア航空の都合で、帰路はフランクフルト経由のルフトハンザ航空南廻り便で香港へ向かい、ここで一泊してから大韓航空で成田へ帰るということになった。旅行を予約した時点では往きも…

ロダン美術館とヴァレンヌ駅

パリ最終日。サン・ドニ門、サン・マルタン門を観た後、サクレクール寺院に向かい、テリトル広場でフランスパンのサンドイッチとワインを買って寺院前の広場で昼食にする。そしてこの日最後に向かったのはロダン美術館だった。地下鉄の駅はヴァレンヌという…

サン・マルタン門とサン・ドニ門

パリ最終日に、まだ行ったことのない場所としてアンヴァリッドの次に選んだのは、サン・マルタン門とサン・ドニ門だ。おそらく初めてパリを訪れた人はまず行かない場所だろう。この二つの門は画像を観てもいまだにどっちがどっちかすぐに判らなくなる。更に…

パリ 謎の建造物の正体

昨日紹介したパリの謎の建造物だが、グーグル地図で特徴的なシルエットから、それらしいものを見つけた。Human and social science library Paris Descartes と言うらしい。人類・社会科学図書館とでもいうのだろうか。ストリートビューでも調べてみたが、近…

パリの謎の建造物

昨日はナポレオンの眠るアンヴァリッドを紹介したのだが、最近のアンヴァリッドのネット上の画像を観ていてある事に気づいた。それはアンヴァリッドのドームが金色に輝いているということだ。前回紹介したアンヴァリッドのドームはくすんでいて光っていない…

ナポレオンの眠るアンヴァリッド

三度目のパリの最終日は、モンパルナスの朝市を観た後、一度も行ってないところを歩こうということになって、まずはアンヴァリッドを目指すことにした。遠くからは何度か眺めてはいたが、入ったことがなかったのだ。場所は判っていたので、馴染みになったリ…

モンパルナス駅前の朝市

ローマからパリへ移動してきて三日目がパリ最終日になる。飛行機は夕方の便になるので、それまで自由行動で最後のパリ散策を楽しむことになる。 まず訪れたのはモンパルナス駅前の朝市だ。野菜、果物の生鮮食品などが多いのだが、パリっぽいのはチーズ。実に…

サントシャペル聖堂へのリベンジ

パリ、シテ島にあるサントシャペル聖堂は1982年、最初にパリに来た年に訪れようとして叶わなかった。ノートルダム大聖堂からサントシャペルの尖塔が見える門のようなところに来ても、それはがっしりと閉まっていて中に入ることは出来ないのだった。門は…

ノートルダム大聖堂前のレストラン

自前の散歩コースの後半はリュクサンブール公園から東に向かい、パンテオン、サンテティエンヌデュモン教会を訪れた後、カルチェラタンを抜けてノートルダム大聖堂へと向かうルートだ。この部分についてはしかし、今年の3月初めの頃、最初の旅行の際のと二…

二度目のリュクサンブール公園

自前の散歩コースでサンシュルピス教会の次に訪ねるのは少し南下した所にあるリュクサンブール公園だ。前回、今年の2月終り頃にも紹介しているので、極力かぶらないように紹介したい。訪れた二回、1982年と1985年の写真を比べてみると、最初の時は…

二度目のサンシュルピス教会

パリでの自前の散歩コースで二つ目に訪れるのはサンシュルピス教会である。サンジェルマンデプレ教会からサンシュルピス教会までの道は、すごく細い路地で今年の2月の記事でも紹介しているが、パリの生活が実感出来る雰囲気のある路地である。最初の時は、…

自前の散歩コースのおさらい

三度目のパリ、二日目は、一番最初にパリを訪れた際に歩いた自前の散歩コースをおさらいしてみることにした。地下鉄でサンジェルマン・デプレ駅へ向かい、サンジェルマン・デプレ教会からサンシュルピス寺院と周り、リュクサンブル公園を経てパンテオン、サ…

海鮮料理専門店 ラ・ムール・オン・フォリエ

当面の目標だった東京まで到達してしまったので、暫くは我が旅行記のみで綴っていくことにする。 3度目のパリに到着した日の夕食は、モンパルナス駅傍のホテルから歩いてすぐのところに見つけた海鮮料理専門店に入ってみることにした。店の名前はLa Moule e…

シャトー・ド・ヴァンセーヌとマリー・アントワネット

一昨日、昨日とお盆の客人対応をしていて、ブログ更新が一回空いてしまった。歩数も二日併せて漸く1万歩強で、とうとう東海道線も東京まで到達した。九州枕崎から約半年掛かったことになる。 3度目のパリだが、ローマから移動してきてバス市内観光をパスし…

ヴァンセーヌの森

昨日はお盆の客人を迎える為の準備で、体力的には1万歩を軽く超える運動量をこなしたのだが、歩きには出なかったので6千歩弱で終わった。もう一つの感度の高いほうの歩数計では1万4千歩を数えているが、通常の歩数計によれば5km稼いだだけで、品川まで何…

強行軍のパリ移動

昨日も一万歩を達成。距離としては8.7kmほど。川崎を過ぎ、次の品川まであと5kmというところまで迫った。東京までも残り12kmほどとなる。 ローマからパリへの移動は、当時の日記によるとかなり強行軍だったようだ。モーニングコールが5時半、バゲージダウン…

三度目のパリへ

昨日は一万歩は達成したのだが、東海道線上では横浜から次の川崎まであと2kmほど足りなかった。 フィレンツェまで往復した日を含め三日ローマに滞在した後、四日目の朝、アリタリア航空欧州便でパリへ向かうことになる。これまで二回のパリ旅行は我々夫婦二…

真実の口

昨日は9300歩と、目標の一万歩まではちょっと足りなかった。戸塚から横浜までは到達した。最終目的地の東京までは28.8kmとなった。 ローマ市内散策の最後は坂を下ってテベレ川沿いにあるサンタ・マリア・イン・コスメディン教会にある真実の口を観に行く…

ヴェネツィア広場とヴィットリア・エマヌエーレ二世記念堂

昨日は東京で別居している親族を訪ねて泊りに行っていたので、またまた更新が途切れてしまった。一昨日、昨日で1万5千歩を超え、藤沢から大船を越えて戸塚まで達した。箱根駅伝で言えば8区、権太坂の手前に当たる。 ローマ市内散策で、ナボナ広場南側で市…

まぼろしの市場

昨日もぎりぎり目標達成で、一万と22歩を数えた。茅ヶ崎から辻堂を過ぎ、藤沢まで到達した。 ナボナ広場でランチを採った後、再度市内を南側に少し散策したところで建物に囲まれた別の広場に出た。そこには市が立っていて、テントの下で果物、野菜などの食…

ナボナ広場での昼食

昨日は何と1万と9歩だった。平塚を越え、茅ヶ崎まで到達した。 ローマ市街散策では午前中にサンタ・マリア・ソプラ・ミネルバ教会まで観終わったところで、少し道を戻ってナボナ広場に入り、ナボナ広場を囲うように建っている建物の一角にテラスを出してい…

サンタ・マリア・ソプラ・ミネルバ教会

昨日もぎりぎりではあるが、何とか1万歩を達成した。二宮、大磯と通過し、大磯と平塚のちょうど中間ぐらいまできた。 パンテオンを観た後、そこから歩いてすぐのサンタ・マリア・ソプラ・ミネルバ教会というところを訪ねている。ここもイタリア人神父に是非…

ローマのパンテオン

昨日は楽勝で一万歩を達成し、小田原から鴨宮、国府津を過ぎて、次の二宮までのちょうど中間地点までやってきた。終点、東京まで75kmほどだ。 今から1年3箇月ほど前、昨年4月初めにローマのパンテオンについて触れている。その時は私の絵画史ということで…

スペイン階段とジプシー

昨日はぎりぎりだが何とか一万歩を達成した。根府川、早川と過ぎて小田原までやってきた。 ローマ散策で、バルベリーニ通りを下っていってスペイン広場に到達する。ローマの休日で日本でもおなじみの観光地だ。我々もスペイン階段下にある建物一階のジェラー…