norimakihayateの日記

バーチャル旅日記からスタート。現在は私の国内旅行史に特化しています。

北山定番コース

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 午前中を嵯峨野巡りで過ごした後、午後は北山を巡ることにする。ここは大学最後の冬休みに初めて辿ったコースだ。嵐電に嵐山駅から乗込み帷子ノ辻北野線の方へ分かれ、仁和寺前の駅で降りてここから金閣寺まで歩くコースだ。

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 仁和寺はかなり広大な敷地があり、途中には竜安寺という名所があり、更に金閣寺まで行くとかなりの登り坂をずっと歩くことになる。金閣寺も順路に沿って周るとかなりの距離を歩くことになるので結構な時間が掛かる。

 大学最後の冬に来た時は仁和寺に着いたのが夕方で、金閣は閉門ぎりぎりに入場したというかなりの駆け足だったので、この時は時間に余裕をみてゆっくりと廻ったようだ。

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嵯峨野定番コース

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 嵯峨野の古い写真を見返していて思い出した事がある。当時の妻はとても寒がりだったことだ。私は寒さには結構強いほうだったので、京都に着いてすぐ私が着てきたダウンジャケットを妻に着させていて、私は殆どセーターだけで済ませていた。

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 嵯峨野を最初に周ったのは高校の修学旅行の時だったが、その時から私の中では定番コースが出来ている。とはいっても、大体矢印看板に従って歩いていくと殆ど同じコースにはなる。全部周っていると時間も拝観料もばかにならない。外せないのは化野の念仏寺、祇王寺、落柿舎だろうか。何度訪れても感じがいい。落柿舎は小さいので外から観るだけでも充分だ。

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四度目の嵯峨野

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 この時、嵯峨野を歩いたのは自分としては四度目だったと思う。それまでは全て四条大宮から出ている嵐山電鉄に乗って嵐山駅から散策をスタートさせていたのだったと思う。しかしこの時はJR(当時は国鉄)の嵯峨嵐山駅(当時は嵯峨駅)をスタート地点にしていて、ルートもそれまでと多少違っていたようだ。最初に訪れるのはそれまでは天龍寺だったのが、この時は宝筐院という所を最初に訪ねている。しかし、その後はいつもの定番の化野、念仏寺へ向かったようだ。

 

夫婦三度目の国内旅行 京都

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 結婚した当初は海外旅行が多かったのだが、三度目にした国内の宿泊旅行は木曽路、奈良井と犬山を周った一年半後、正月休みに出掛けた京都だった。

 確かこの時は突然思い立ってで掛けたので、どこを周るとか何処に泊るとか全く事前には検討せずにただ新幹線に乗ったような気がする。京都駅に着いてまず観光案内所を訪ね、宿泊場所を斡旋して貰う。値段で東本願寺近くの民宿を選んだのだったと思う。電話して貰って無事取れたのを確認してからさて何処へ向かおうかということになって思いついたのは嵯峨野だった。

 嵯峨野は高校の修学旅行で初めて訪れ、その後就職するまでの大学時代に二度一人旅で周っている。いわば馴染みの場所で、夫婦で最初に回るには土地勘があるほうがいいだろうと思ったのだ。

 京都駅からそのまま在来線に乗って嵯峨という駅まで向かっている。駅の看板をよく見るとまだ国鉄と書いてある。そして嵯峨駅は今は嵯峨嵐山駅と名前を変えているようだ。

 

旧軽井沢 三笠ホテル

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 中軽井沢、追分の油屋旅館に泊まった翌日はもう帰る日だった。帰る前に中軽井沢から旧軽井沢へ寄っていくことにした。

 油屋旅館などと共に堀辰雄にも縁のある万平ホテルなどにも立ち寄ったが、確か中までは入っていない。その後、更に奥手にある旧三笠ホテルへも寄ってみることにした。こちらのほうは入場料は取られたが落ち着いて見学出来そうなので中に入ってみることにした。

 こちらのほうは油屋旅館とは違って純洋風の建築で、西洋人ばかりが棲んでいた頃の様子を彷彿とさせていた。

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油屋旅館 3

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 油屋旅館の構造はもうはっきり憶えていないが、二階建ての正面玄関から入って板張りの食堂のような場所があって、その奥に廊下が続いて和室の部屋があった気がする。我々に割り当てられたのは二階の部屋だったと思うが、一階の広い廊下の隣に襖を外すと大広間になる続きの部屋があった。まさにその二部屋が私が小学生の頃に夏の錬成会で泊まった部屋だ。一部屋十人位ずつで部屋割りされたのだが、夜に二つの部屋同士で枕投げで騒いでいたら、担当の神父がやってきてこっぴどく叱られ、廊下に正座させられた記憶がある。

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信濃追分 油屋旅館 2

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 この時の旅行はそもそも油屋旅館に泊まることが目的だったので、あまりあちこち周ることはしていない。そもそもまだ関越も東松山の森林公園までしかない時代で、国道17号を延々と走らねばならない。碓氷峠を登って軽井沢に入っても旅館のある信濃追分は更にまだ先だ。旅館に着くまでに相当時間が掛かった筈だ。

 油屋旅館は調べてみると、元々は旧脇本陣で、火災によって焼失した後、今の場所に移転してきたのが昭和13年となっていた。この復興にも堀辰雄が一役かっているようだ。私達が訪れた際に既に由緒ある昔ながらの和洋折衷の建物という感じだった。その後、一旦旅館としては廃業して文化施設として使われてきたようだが、割と最近、また宿泊が出来るようになったらしい。

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