私が会社に入社した頃、夏はテニスが大流行だったが、冬はスキーの全盛時代だった。スキーは大学生で一度だけ体験済だったが、早速ヴィクトリアへ出掛け三点セットを購入することになる。最初の板はスワローのものだった。
会社の先輩、同期たちと最初に出掛けたのは年末の苗場だった。確か車三台ぐらいで男女十人くらいだったと思う。
その時は同行しなかったのだが、同期の一人に親戚が苗場の向いにある浅貝スキー場の傍にスキー客用のロッジをやっている者が居て、そこを格安で借りて基地にして、その後も定宿にしていた。
まだ関越道は練馬ICから東松山の森林公園までしか開通していない時期で、そこからは延々国道17号などを北上する時代だ。当然冬場の週末となれば大渋滞するので、代々社員の間で色んな抜け道が伝授されていた。
関越に乗るのにも環八の井荻が開かずの踏切だった時代で、当然大渋滞するので環八の抜け道というのもいろいろ開拓されていた。