norimakihayateの日記

バーチャル旅日記からスタート。現在は私の国内旅行史に特化しています。

嵯峨野 散策コース

f:id:norimakihayate:20190416085500j:plain

 (あだし野 念仏寺)

 高雄、神護寺の後むかったのは嵯峨野だ。嵯峨野は高校の修学旅行で初めて訪れた場所だ。修学旅行は基本的に自分達で廻るコースを決めることになっていた。私は仲間の男女十人ぐらいとずっと廻っていたのだが、そのうちの一人に流行に敏感な男が居て、旅行雑誌などから嵯峨野が京都散策コースの中で流行始めているらしいと言ってコースに加えたのだった。それまで私自身も嵯峨野という地名すら知らなかった。

f:id:norimakihayate:20190416085534j:plain

 (祇王寺裏 竹林)

 確かあだし野の念仏寺まで真っ直ぐ向かってそこから坂を徐々に下りながら祇王寺二尊院、落柿舎と廻って最後は天龍寺を観た後、渡月橋の見える嵐山の駅へ戻ってくるというコースだ。このコースはその後、何度も通っている。

 

f:id:norimakihayate:20190416085601j:plain

 

残雪の高雄 神護寺

f:id:norimakihayate:20190415085222j:plain

 京都に着くとまず高雄の神護寺を目指している。高校の修学旅行でも京都に入ってまず最初に観光バスが一斉に向かった場所だった。京都での観光は自分達でプランを立てる自由行動も多かったのだが、唯一全体行動の場所だった気がする。

 修学旅行の時は紅葉の時期だったので、大勢の人でにぎわっていたのだが、一人旅で出掛けた時はあちこちに雪が残っていた。紅葉の時期と違って、殆ど訪れる人もない季節だった。

 一番奥の地蔵院で素焼きのお皿、かわらけを投げる渓谷も誰一人として訪れている人は居なかった。

f:id:norimakihayate:20190415085237j:plain

 

修学旅行での京都

f:id:norimakihayate:20190414140108j:plain

 京都はその時、おそらく生涯三度目の事だったと思う。大学生になる前は修学旅行以外で京都などに行く筈はなく、小学校の時は日光だったので、中学校、高校と修学旅行で行ったのは間違いない。高校の時ははっきり記憶にあるのだが、さすがに中学校の修学旅行など殆ど記憶にない。ただ、清水寺で湯呑を買うかどうか迷ったという記憶と奈良公園鹿せんべいを鹿にやったという記憶はあるので、中学生の時は京都、奈良の旅だったのだろう。

 高校の時は、主に山陰を周って最後に京都で一日過ごしたという記憶があるので、大学4年が終わろうという年明けに行ったのは三度目というのは間違いないだろう。この時の旅は主に、高校生の修学旅行で周った所をなぞってみるという旅になっていた。

 今日の画像は中学の時の卒業アルバムの一頁から採ったものだ。

 

大阪行き 寝台急行・銀河

f:id:norimakihayate:20190413144512j:plain

 北海道旅行は大学生活四年間の中で最大の旅行だったが、帰ってくるともう大学卒業まで残り5箇月半ほどだった。就職後は旅行する時間もそれほどは取れない気がして、北海道旅行ほどではないにしろ、少しでも出来るうちに旅行をしておきたかった。

 それで選んだのが冬休みを使っての京都を中心とした関西への旅行だった。出発したのは三が日最後の一月三日の夜。この時も最初の夜は宿泊費を一泊分浮かす為の夜行急行、銀河を使うことにした。

 

北海道 最終日

f:id:norimakihayate:20190412090603j:plain

 松前の友人宅に泊めて貰った翌日は土曜日で、その頃はまだ土曜は半日学校がある時代だった。それで午前中独りで海岸沿いに更に進んで江差までドライブして過ごし、お昼過ぎに再度合流して一緒に函館まで戻ることにした。

 函館の街に入る手前でまだ行ってなかったトラピスチヌス修道院を観てみたいと言うと、付き合ってくれるという。トラピスト修道院のほうは閉鎖的で淋しい所だったが、トラピスチヌスのほうは街に近いせいか見学コースもあって観光客も大勢いた。お土産屋もあって、ここで今日の画像にも使っている絵葉書を購入している。

 その後レンタカーを返しにいって青森から出る夜行便に間に合う青函連絡船への乗り口の前で友人親子と別れ、私の北海道旅行がほぼ終わったのだった。

 

松前 烏賊釣り船の漁火

f:id:norimakihayate:20190411094932j:plain

 松前城で再会を果たし、中学校を見下ろす崖の上の下宿先まで一緒に行く。下宿と言っても一軒家で、借家と言うべきかもしれない。母上は既に到着していて待っていてくれたようだ。近くの寿司屋に三人で出掛けてお寿司を母上に奢って貰う。特にウニが美味しかった覚えがある。

 帰りは少し散歩して海を観ながら中学校での様子などを聞く。水平線辺りに明かりが幾つも見えて、あれは烏賊釣り船の漁火なのだと教えてくれた。松前辺りは烏賊釣り業ぐらいしか産業がなくて、貧しい家が多くて採った烏賊でさえ子供等は充分に食べられないのだと話していたのが心に刺さって妙に記憶に残っている。

 

松前でのすれ違い

f:id:norimakihayate:20190410111758j:plain

 トラピスト修道院を外からではあるが見物した後は一路ノンストップで松前へ向かっている。松前に到着したのはお昼少し前ぐらいだったと思う。駅周辺で暫く時間を潰し、友人の勤める中学校へ電話してみると不在だと言われた。それで駅前の何処かでお昼を採って、松前城のある城址公園のほうへ登ってみることにする。平日の昼間なので人は閑散としていた。少し小高い丘の上なので広く海が見渡せた。公衆電話を捜して再び中学校へ電話してみると今度は居たようで暫く待つと電話口に出た。訊いてみると何と昼休みに来るかもしれないと駅へ出て待っていたというのだ。車を使って行くというのは言ってなかったので、当然電車で来ると思ったらしい。お昼前後にすぐ近くをうろうろしていたのに、擦違ったらしい。今から行くというので城址公園の天守閣付近で待つことにした。遠くからやってくる姿を見つけた時は何だか映画の一シーンを観ているような気がした。