子宝の湯の斜め隣には江戸末期から明治初期の頃に建てられたという旅館・萬徳が建っていた。青梅街道沿いにあったものを移築したものとのことで、終戦直後ぐらいの時期の様子を再現しているという。
正面から入ると土間があって左右に上がり框がある。信州の木曽路に知り合いの実家で江戸末期頃からの脇本陣の家があって泊まらせて貰ったことがあるがちょうどこんな感じだったのを思い出す。
和室の客部屋に入ると、廊下とは障子で、隣室とは襖で仕切られている。布団を収納する押し入れはないので、各部屋用の布団を収納している専用の布団部屋があるのだろう。大学の運動部用の明治時代の古い寮に泊ったことがあるがちょうどこんな感じの造りだった。
風呂は檜張りの樽のような形だが、焚口が見えないことからおそらくは内側は金属で出来た五衛門風呂なのだろう。
家の外にあたる部分に井戸が付属している。朝起きて顔を洗うのはこの場所なのだろう。