norimakihayateの日記

バーチャル旅日記からスタート。現在は私の国内旅行史に特化しています。

人名と地名

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 日立駅を出て、小木津(おぎつ)、十王と過ぎ、高萩の一歩手前まで来た。

 

 この辺りもまだ日立城下町のようだが、日立金属関連の工場が続く。日立金属と言っても、元は日立電線という会社で、つい昨年に日立金属に吸収合併になっている。日立金属も日立電線も元は日立製作所から分離した会社のようだ。子供同士が養子縁組したような関係らしい。

 

 高萩駅とあるが、嘗ての知り合いに高萩という珍しい名の人が居た。高萩出身かどうか判らないが、茨城出身ではあったので、遠く遡ればその地の末裔なのだろう。

 

 群馬県に単身赴任していた頃にも、近隣の地名と同じ苗字の人が多かった。後閑(ごかん)という珍しい苗字の人が居たのだが、水上温泉のほうに後閑という地名があって、その近くの出だった。吉井という男も居て、上信電鉄線の途中にやはり吉井駅があった。倉賀野(くらがの)というのも何人か居て、高崎の近くに倉賀野という地名があった。阿左美(あざみ)という苗字も何人か居たが、桐生の近くに阿左美という駅がある。

 

 昔は出身の村の名を名乗るというのは、ごく普通の事だったのだろう。それが都会を中心に人の移動が多くなって、地名から人名が離れてどんどん拡散していったのだろう。

 

 写真は日立駅付近を走る貨物列車。手持ちが無かったのでネットからの借り物。背景は日立セメントの工場。嘗ては引き込み線もあったらしいが、今は無くなっているそうだ。茨城には日立鉱山線をはじめとして廃線となった路線が数多くある。工場の栄枯盛衰を物語っているのだろう。