norimakihayateの日記

バーチャル旅日記からスタート。現在は私の国内旅行史に特化しています。

それが答えだ ロケ地を巡る旅

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 単身赴任を初めて1年が経過した頃、子供達の夏休みに単身アパートを基地にして色んな場所を巡ることにした。その一番の思い出が当時確か放映が始まったばかりのテレビドラマ「それが答えだ」のロケ地を捜して廻る旅だった。ただ、この旅に出発する際に判っていたのは、山梨県須玉町、白洲町という場所が使われているらしいという情報のみだった。

 「それが答えだ」は三上博史が田舎の中学校でオーケストラ部の指揮をするマエストロ役で主役を務めた評判のドラマだったが、藤原竜也とか深田恭子などが中学生として出ているとか、まだブレーク前の藤原紀香がセクシー大学生アルバイトとして花を添えているなど、今から考えると凄いキャスティングの作品だ。まだ小学校高学年ぐらいだった娘も学校のブラスバンドでトランペットなどを吹いていたこともあり、興味を持って親子で観ていた。

 ロケ地を巡る旅は、夏休みであちこち渋滞するので子供用の自転車二台と自分用の三台の自転車をRV車のリアキャリアに積んで4時半には家を出発した。

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 (上記画像は旅行出発時のものではなく1年半ほど前のもの)

 

赤城山スキー

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 私の単身赴任が始まった頃は、その単身アパートを基地にしてあちこち家族で遊びに出掛けている。その一つが赤城山スキー場だった。ちょうど娘がスキーを覚えたてで、何かにつけスキーに行きたがったのと、赤城山スキー場というのがとてもローカルな場所で小さいのだが、滑っているのは殆どが地元の子供等で何時行っても混んでないというのが魅力だったのだ。しかしスキーブームはもうピークを過ぎていて、確か単身赴任中に閉業してしまった筈だ。

 

軽井沢 渋温泉の旅 8

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 湯田中では湯田中グランドホテルという宿に泊っている。当時の日記にはちょっと古くて狭かったが、それなりに雰囲気があってよかったと書かれている。しかし記憶にあるのは宿の窓から直ぐ前を流れている川が見下ろせたという位しかない。

 翌朝、娘は母(私の)を誘って宿で貰った手拭いを持って渋温泉の外湯巡りに出掛けていった。手拭いには外湯の名が壱番湯から順に全部記されていて、それぞれの湯の入り口で朱印を押して貰えるようになっているのだった。この朱印を押した手拭いは旅行の後、暫く娘の部屋の入り口に暖簾のように掛かっていた。

 湯田中を出る前に地獄谷野猿公苑というところにも寄っている。猿がお湯に浸かっているポスターなどで有名な場所だ。猿は見掛けたが、温泉に入っていたかどうかは憶えていない。

 そして午前中に湯田中を出て帰途についたのだった。

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軽井沢 渋温泉への旅 7

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 湯田中の街を皆で暫く散策した後、旅館に親を送ってゆき息子を預けて娘、妻と三人でごりん高原スキー場という所へスキーをしに行く。どうやって行ったのかもうすっかり忘れていたが、今調べてみると嘗て温泉街からロープウェイのゴンドラで直接スキー場まで行けたらしい。

 そもそも出掛けたのが既に遅い時間だった。ゴンドラを降りてリフトで一度だけ上へあがったのだが大変な目に遭うことになる。娘も妻も殆ど初心者で、降りてくるのに時間が掛かる。ところがどんどんロープウェイの最終便の時間が迫ってきて現地の指導員たちに急かされ、最後は私が妻と娘のスキー板を持って下り、妻と娘はそれぞれ二人の指導員におんぶされて山を降りることになる。おかげでぎりぎり最終便のロープウェイには間に合ったのだが、妻にはもう二度と行きたくないと言われてしまった。

 

軽井沢 渋温泉への旅 6

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 軽井沢から上信越自動車道を延々と走って湯田中の街に着いたのはお昼過ぎ位だったような気がする。湯田中の街にある温泉を渋温泉というのを知ったのもこの時だった。

 初めて湯田中に来たのは小学校の中学年ぐらいの頃だった。湯田中というのはそこから信州の高原地帯に昇ってゆく時の中継地点というような位置付けで、小学生の時も山の上のほうにあった山田牧場というところで夏期学校のような催しがあった時だ。山田牧場は当時流行った有名なミュージカル「サウンド・オブ・ミュージック」のオープニングの舞台となったザルツカンマーグートの山の上のような場所だった。その山田牧場へ急峻な山道をバスで延々登る前に休憩で立ち寄った場所だったと記憶している。

 40年近く立って再び湯田中の街を訪れた年末旅行では着いてすぐ街中を皆で散歩して何枚か写真も残っているのだが、今となっては何処を訪れたのかもさっぱり分からなくなっている。

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軽井沢 渋温泉への旅 5

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 宿泊したホテルというかロッジは予約したパンフレットには貸別荘パルコール村となっていたが、行ってみると鉄道村とあったり、名前もいろんな表記があって、貸別荘風の戸建てロッジもあったが、普通のホテルもあったりで、結局我々が泊まったのは貸別荘ロッジではなく二階建ての宿泊棟という雰囲気の客室だけの棟の二室だった。

 翌朝、ホテルのフロントの人に「これからどちらへ」と訊かれて何気なく草津から志賀高原の方へ抜けて湯田中渋温泉へと言ったら、「あそこは冬季は雪が多くて通行止めですよ。」と言われて蒼くなる。まさかの事態だった。しかしその時は上信越自動車道が全線開通していて軽井沢へ戻って、追分、佐久と辿り、そこから再び高速に乗って延々と浅間山を右手に観ながら上田、長野と経て信州中野で高速を降りれば行けなくはないという。

 まさかの事態だったが、草津経由の時はずっと一般道のつもりでいたので、高速を飛ばしてそれほどの時間的ロスはなかったかもしれない。

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軽井沢 渋温泉への旅 4

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 軽井沢スキー場最後の一本は自分一人で滑らせてもらうことにしたので一番長いリフトを使ってみたら降りる方向を間違えてもう一度昇り直す羽目になる。おかげで約束の時間を30分ほど遅れてしまったが、それからすぐに北軽井沢にあるパルコール村という貸別荘街に向かう。

 ここは想像よりずっといい場所で、洋食のレストランがあるホテルの建物とは別に貸別荘の宿泊棟がある。部屋も洋室と和室のセットになっていて、洋室を老夫婦に、和室で我々夫婦と子供達が寝ることになる。雪は降ってはいなかったが、道路にはまだかなりの残雪があった。

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