norimakihayateの日記

バーチャル旅日記からスタート。現在は私の国内旅行史に特化しています。

新大宮バイパス

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 榛名湖を出た後は、国道17号とそれに続く新大宮バイパスで一気に都心を目指している。この辺のくだりはこのブログで4年半前ぐらいにも書いている。この時の旅行から1年後ぐらいに自分でも運転免許を取り、スポーツタイプの中古軽自動車を親に買って貰って自分で運転するようになるのだが、新大宮バイパスというのは自分では運転したことがない。関越自動車道と首都高が整備されてきたからだ。新大宮バイパスは当時は車の運行量が半端なく多い主要幹線道路だった。

 帰途の途中、練馬にあったM氏の彼女の家というのに寄っている。何処かのドライブインで買った信州土産を渡すのだということだった。私は車で待っていたのでその彼女には逢っていない。

 都心から先は国道246をずっと走ってM氏とのドライブ旅行を終えたのだった。

 

榛名山と榛名湖

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 M氏との信州ドライブ旅行もいよいよ終りが近づいてきた。碓氷峠を降りてくると最後の観光地として榛名湖を選んでいる。湖好きのM氏ならではである。

 信州を車で旅行するとなると、国道17号、国道18号、国道19号辺りを走ることになる。いつも何処からどこが何号線だったか分からなくなる。

 我々が走った軽井沢から碓氷峠を降りきった高崎までが18号らしい。高崎を経由して東京から榛名山への入り口の伊香保辺りは17号線だ。

 中山道はというと、東京から17号がメインで高崎から18号に移り、その後新潟のほうへ向かう18号から佐久で別れて、19号になって名古屋へ向かうというルートのようだ。

 

横川駅 峠の釜めし

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 軽井沢で遊んだ後は碓氷峠を越えることになる。そろそろお昼になるというので寄ったのが横川駅で定番の峠の釜めしを買ってお昼にしようということになる。M氏はこういうここに行ったらこれを食べるというのに何故かとても詳しいのだ。その当時は信越本線碓氷峠を越えていたのだが、もう横川駅が今は終点になってしまっている。

 この当時、信州方面へ旅行するとなると、定番の駅弁はこの横川駅、峠の釜めしか、高崎駅のだるま弁当ということになる。

 実はつい先日、桐生という街の美術館に絵を観に行っている。湘南新宿ラインという何時の間にか出来た路線で新宿から高崎を経由していったのだ。途中の何処からかは高崎線になっていた筈だ。そして高崎駅でちょうど12時だったので、昔懐かしいだるま弁当を購入してホームのベンチで食べることにした。何と言う植物か分からないが山菜でお漬物になっているのがあって、実に懐かしい味だった。脳の奥底に味が沁みついていたようだ。

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鬼押出し

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 草津温泉を出発したのは、もうこの旅行の最終日になる。ひたすら道を南下して軽井沢を目指す。

 途中北軽井沢の鬼押出しで観光の為に車を降りる。鬼押出しはこれまでの人生で何回か訪れたことがあるが、最初に訪れたのはこの時だった。

 遊歩道から溶岩痕の岩場へ降りるのはおそらく禁止されていたのだろうが、若での至りというのか、つい降りて岩山を攀じ登ってしまった。

 その後、北軽井沢だろうと思うのだが、アーチェリー場を見つけて人生初めてのアーチェリーを体験する。

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草津温泉 2

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 草津温泉では宿選びなどはすべて年上のM氏におまかせだった。予約は全くなくての飛び込みで、出せる宿泊代も限られている。どんな場所だったかもう殆ど憶えていないが、女中部屋のような狭い部屋だったことだけ憶えている。

 M氏に旅の仕方で教えて貰ったことは幾つもあるが、そのうちの一つは食事は旅館で採らないで素泊まりにする事。もう一つは酒類は隠してでも必ず外から持ち込む事だ。酒の肴には魚肉ソーセージを入れる事。この時もそうしている。学生ならではの旅行の仕方と言える。

 この時の事ではないが、それ以外にもいろいろ教えて貰っている。旅館に泊る旅をするなら12月のクリスマス以後で大晦日の前を選ぶこと。宿が一番閑散として安くなるのだ。これはその後もこのやり方で年末家族旅行を恒例の様にやっていた時期がある。

 

峠越えのデジャブ

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 信州旅行のドライブで、志賀高原の宿があまりに高かったので山を越えて草津温泉まで行ったのは、長野県から県境を超えて群馬県に入ったことになる。この時は秋口で、大変は大変だったが無事山越えをしている。

 実は似たような山越えで超えられなかった事が二回あって、頭の中でいつもごっちゃになっている。ひとつは両親、子供等を伴っての冬場の温泉スキー旅行で、一泊目を北軽井沢で過ごし、二泊目を湯田中の先の渋温泉に宿を予約した時の事だ。事前に地図を調べて北軽井沢から北上して草津温泉を通り抜けて峠を越えれば渋温泉に着けると思っていた。信州旅行のドライブの際の逆廻りコースだ。ところがこの道は冬季は雪の為に道路が封鎖されるのを知らなかったのだ。おかげで高速の上信越道を延々と大回りする羽目になった。

 もうひとつは日光に家族ドライブ旅行をした際に、この時も地図だけみて、群馬の奥の水上から山道を抜けて中禅寺湖のほうからいろは坂を降りて行こうとした時だ。春先だったが、群馬と栃木の堺にある金精峠という場所が冬季は同じ様に通行止めで、あと1週間先には開通するという時期だったが、山を越えられなくて群馬から外環道まで戻り東北道に乗り直すというこれも延々と大回りを余儀なくされた苦い経験がある。この三つのドライブの事がいつも頭の中でごっちゃになってしまうのだ。

 

草津温泉

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 志賀高原の旅館でM氏が宿泊費を交渉してあまりの高さに諦めたのが幾らだったのかは私は知らない。そもそも学生の身分で、自分の金で旅館に泊まった経験など皆無だったので、旅館の相場も学生身分で泊る相応の値段というのも皆目見当もつかなかった。

 志賀高原を諦めて、草津に向かうと言われた時、志賀高原草津の位置関係も全く頭に入っていなかった。とにかく延々ともう真っ暗になっていた山道をくねくね走り続け、辿り着いた草津温泉のそれほど上等ではない宿に投宿を決めたのはもうかなり遅い時間だった。

 もう辺りはまっくらだったので、今日の画像はその翌朝のものだ。