norimakihayateの日記

バーチャル旅日記からスタート。現在は私の国内旅行史に特化しています。

南仏行きの車窓から

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 パリ・リヨン駅からTGVに乗って目指したのは南仏・アヴィニョン駅だ。確か2時間強ぐらいだったと記憶している。

 リヨン駅を出てすぐは、パリの街並みの中を進んでいたが、すぐに景色はどこまでも続く田園風景に変る。フランスが屈指の農業国であることをまざまざと知らされる。黄金色の麦畑がどこまでも続き、ところどころに濃緑色の糸杉のようなものが生えていて、まさにゴッホの世界だった。

 このブログでも既に二回は紹介している民族ジョークで、「神様がフランスをあまりに豊かに作ったので、天使がこれでは不公平ではありませんかと訊くと、神様は、その分フランス人は加減して作っておいたから。」というのが思い出される。

 麦畑が続く景色に人家は少ないのだが、時折集落が見えてくると、きまってその真ん中に大抵、高い尖塔を持った教会があるのが見える。独特のフランス田舎の風景のようだ。

 

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TGV乗車

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 無事、南仏方面行きのTGVが入ってくるホームを見つけ、電光掲示板で自分達が乗る車両の番号を確認して一安心する。

 以前にテレビのフランス語講座で、フランスでは電車に乗車する際にコンポステという切符に打刻をする機械がホームに置いてあって、そこでガチャンと打刻をしなければならないというのを習っていた。それでコンポステの機械を捜してそこで打刻をしておく。しかし後で切符をよくみたら、日本語で打刻は不要ですと書いてあった。あれれと思ったが、予約で買った切符なので最初から搭乗日が印字されているので不要だったようだ。

 駅の売店で水と子供用のジュースと自分用のビールを買っておく。フランスのビールは基本的に生ぬるいのが多く、きりっと冷えたのにはなかなか出遭えない。

 車両は小さ目の国内線飛行機の機内ぐらいの大きさで、通路を真ん中にして両側に二席ずつ。我が家で通路を挟んで一列占拠する形になる。すぐ後ろの列に若いフランス・ギャルの三人連れが居て、キャアキャア騒ぎまくっている。しかしフランス語なので、うるさいという感じではなく、いかにもフランスっぽいBGMのようにしか聞こえない。

 

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いざ、南仏へ

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 パリ到着の三日目、朝の散歩を終えた後、いよいよホテルをチェックアウトしてTGVに乗る為にリオン駅を目指す。

 パリには大きな駅が5つか6つあったと記憶している。大きなというのはそこから長距離列車が発車する駅で、パリに到着する終着駅でもある。フランス語でガールと呼ばれていて、地下鉄メトロや、近郊電車RERなどの駅、スタシオンとは区別されている。映画で有名な北駅、東駅、サン・ラザール駅、モンパルナス駅などでモンパルナス駅はパリ近郊の観光地、シャルトルへ行くのに使ったことがあった。南仏へ向かうガールはリオン駅で、バスティーユ広場の先にある。

 リオン駅までは地下鉄を乗り継いで行くのだが、途中で金髪のフランス人の男の子に声を掛けられる。何と言ったのか判らず「Pardon ?(何ですって?)」

と訊きかえしたのだが、結局何を言いたかったのか聞き取れなかった。どうも地下鉄への通路を大きなカートを牽いて歩いていたので、その荷物に関して何か言われたらしかったが、結局そのままになってしまった。

 リオン駅では最初に到着したホームに自分達が乗る列車番号の表示がなく、一旦外へ出てぐるっと巡って別のホームへ向かわなければならないことが分かる。在来線と新幹線のホームが別のようだった。

 新幹線ホームまで外側の通路を急いでいると、今度は若いフランス人の女性に声を掛けられる。身振り手振りも含めて、「あそこのスタンドでパンを買いたいのだけど、お金がちょっと足りないの。少し恵んでくれない?」みたいな事を言っているようだった。普通の身なりで乞食のようではなかったが、この時はフランス語が判らないという仕草で先に進むと、別の人に声を掛け始めた。訳がわからない国だと感じた瞬間だった。

 

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再びサクレクール寺院へ

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 パリに到着して三日目はいよいよ南仏へ出発するのだが、フランス高速新幹線TGVは10時過ぎぐらいの出発だったので、朝は再度モンマルトルの丘、サクレクール寺院付近を散歩することにした。前日、娘が盗られたポシェットが落ちてないか捜す目的もあった。金目の物は殆ど入っていないので、すぐに捨てたのではと思ったのだが、結局見つからない。

 この日はサクレクール寺院裏手のほうを廻ってみる。昨年の4月頃に、初めてパリへ来た1982年に巡ったこの界隈の事をこのブログで結構細かく記している。この辺りも好きな通りではある。私が中学生の時に美術の教科書の表紙で初めて観た、ユトリロが描いた1900年代初頭の景色が1982年の時も2002年のこの時も殆ど変らずにそこに存在していた。

 

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パリ市庁舎前

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 レストランで食事を採った後、もう一度ノートルダム大聖堂に戻るつもりだった。塔の上へ登る為だ。しかし大聖堂の裏手にある階段入口前に出来ている長蛇の列に並んでみたものの、一向に列が進む気配がない。それで諦めて別の機会に再挑戦することにした。

 ノートルダム大聖堂からぶらぶら北のほうに歩いていくと、何やら人だかりがある。パリ市庁舎前の広場で日韓合同で開催されていたサッカーワールドカップの試合のパブリックビューイングをやっていたのだ。しかしこの年はジダン率いるフランス代表チームは予選敗退で既に脱落していた。もしまだこの時フランスが残っていたら、あの場は大変なことになっていた筈だ。

 この日は外を歩くのは暑くて大変だったので、その先のポンピドーセンターの中にある冷房の効いた図書館に入って暫く休むことにしたのだった。

 

パリ最初のレストランでの食事 2

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 ノートルダム大聖堂のすぐ近くのレストランには威勢のいいマダムがいた。壁にいっぱい飾られている古い絵や写真の中に、モノクロの若い女性の肖像画があって、若き日のマダムのものではないかと思われた。

 背の高いひょろっとしたギャルソンが英語が得意そうで、注文を丁寧に訊いてくれる。定食メニューが三種類あったので、4人でそれぞれ頼むことにする。息子がアーティチョーク入りのサラダがあるものを選んだのだが、アーティチョークは影も形もなく(多分ソースになっていた?)ちょっと残念そうにしていた。アーティチョークは我が家でも当時育てていて、お馴染みの食材だったのだ。

 大人はこれから南仏入りをするということで、ギンギンに冷えたプロバンスのロゼをデキャンタで頼む。プロバンスのロゼも我が家ではお馴染みのワインだ。

 

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パリ最初のレストランでの食事

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 ノートルダム大聖堂に入った時点で午前11時を過ぎていたので、一時間ほど堂内を見学した後、食事に一旦出ることにする。

 17年前に大聖堂が見えるセーヌ川沿いのレストランで食事をした覚えがあり、そこを捜したが見つけることは出来なかった。カルチェラタン界隈を暫く歩いて、一軒のレストランを見つけ入ってみることにする。ギャルソンが外のテラスに1テーブルだけ空きがあると薦めてくれたが、あまりに暑かったので屋内のエアコンが効いている場所にして貰う。従業員が伝票の整理みたいな事をしているテーブルがあったので、あそこでもいいかと訊くと席を作ってくれた。窓のすぐ傍で、隣の建物に蔦が一面に這っていて涼し気だった。

 ちょっと暗めの店内は古い時代のパリの写真などがアンティーク風に飾ってあって、なかなか雰囲気のいいレストランだった。

 

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