norimakihayateの日記

バーチャル旅日記からスタート。現在は私の国内旅行史に特化しています。

ホテル パラゴン

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 二回目となる韓国出張は3泊4日だったようだ。しかも初日は前泊となる日曜日の日本出発だった。我々を空港まで迎えに来てくれた現地駐在所の韓国人Y氏は元々釜山出身の人だった。しかしその当時の勤め先はソウル郊外の水源だったので、実家帰りを画策して我々の空港ピックアップに志願し、我々をホテルに送るや否や、実家に寄って来るからと姿を消してしまった。

 ソウルはおろか、釜山も全く土地勘が無いので、街のどの辺りに居たのかもわからない。パラゴンという名のホテルの部屋はかなり高層階だったようで、ホテルの窓から撮った写真が二枚残っている。古びた街並みと最新式の超高層ビルがごっちゃに存在していて、独特の雰囲気を醸している。色はあるのだが、全体として何処かモノトーンの印象しか残っていない。パラゴンホテルには二泊して、水源に移動することになる。

 

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今回の同行者

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(左:H社海外営業Y氏 右:当社営業H氏)

 前回の韓国出張ではH社の開発の人1名とH社の海外営業の人1名と私の三人組だったが、今回は開発関係は私一人で、前回のK氏とは別の海外営業のY氏に私と同じ会社の営業のH氏という三人の組合せとなった。Y氏も当方のH氏も海外はかなり慣れていて、私が気を遣うことはあまりない。しかもH社の現地駐在所勤務の韓国人のY氏も案内兼通訳として同行してくれることになり、何の心配もいらないお気楽なツアーでもあった。日本航空の釜山行きの便を降りると、すでに現地のYさんが空港で待っていて、タクシーで釜山市内にあるホテルパラゴンというところへ連れていってくれた。

 

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(韓国人のY氏)

 

二度目の韓国出張

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 2月のとても寒い中、初めての韓国を出張で訪れた後、次に廻ってきたのが今度は真夏、7月の韓国出張だった。

 ルノーサムスンとの新型車立上げのプロジェクトも大分進んできていて、この時の出張では完成車両の検査装置の詰めだったように思う。最初に朝鮮半島南側に位置する釜山(プサン)の車両工場を訪れ、その後前回も行ったソウル郊外水源にあるRSMのテクニカルセンタを訪れたのだった。

 当時の記録を見ると、往きも帰りも日本航空を使っているとある。しかし私が所蔵している大量の機内誌の中には2001年7月号のKOREAN AIRの機内誌があるので変だなと思っていたのだが、よくよく考えてみると釜山からソウルへ行くのは韓国の国内便だった筈で、この時KOREAN AIRを使ったのだろう。

 

ソウル 南大門

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 朝のうちに水源を出てソウル市内に戻ると日本への出発までの間、ちょっとだけ観光に出る。最初に向かったのが南大門だ。建造以来六百年の歴史を持つ門らしいのだが、2008年に放火により全焼してしまったのは記憶に新しい。今はどうなっているのか調べてみたら、5年以上かけて2013年に再建されたそうだ。

 この門の前で記念撮影をした後、近くのマーケットを覗いてみたのだが、何しろ寒くて長くは居られず、お土産の韓国海苔だけ買ってデパートの地下街に待避したようだ。

 そして二時間半ほど掛けて初めての韓国出張は終りを告げたのだった。

 

水源 華城

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 初めての韓国出張では水源に二泊して三日目にはもう帰国することになる。三日目の朝、一人で近くを散歩してみようと思ったが、余りの寒さにホテルに引き返したことを憶えている。ホテルでゆっくりめの朝食を採った後、タクシーでソウルへ戻ることになる。途中、ユネスコ世界遺産だという観光名所、華城に寄ることになる。と言っても、時間があまりないので外側から覗くだけだ。万里の長城を小さくしたような要塞と城壁の上の道が十数キロ続いていると聞いた気がする。いつか一度歩いてみたいとは思ったが、その時はとにかく寒くて、城壁の上を歩くという雰囲気ではなかった。

 

韓国 最後の夜

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 二日目のミーティングが終わって、サウナへ行ったのは前述しているが、その後、夕食を採るのに同行した営業の男はきっと何も検討しないで来る気がしたので、こちらで水源の地図やホテルのパンフレットを調べて、夕食の店をあらかじめ決めておいた。最初の夜が韓国焼肉の店での接待で、二日目の昼はRSMサイト内の食堂で韓国家庭料理風の食事と韓国料理が続いていた。それで外に出るのは寒そうだったので、ホテル内にある日本食レストランがいいだろうと提案することにした。

 夕食の為にロビーで落ちあうと案の定、営業の若い男K君は何も調べておらずノーアイデア。結局私の提案どおり、ホテルの日本食レストランに決まる。

 日本和室風の個室で、落ち着いた雰囲気の中、韓国衣装の女性がゆったりした雰囲気で給仕してくれる。しかし日本語は勿論、英語も殆ど判らない様子だった。付きだしの様なものは、ちょっと日本風ではなかったが、クラゲと数の子の寄せ物などあって、悪くはなかった。天麩羅やお造りは結構日本風だったが、当時の日記によると大トロは一部骨っぽくて、まるで鮪のカルビのようだったと書いてあった。お酒は日本酒はなかったものの、現地の酒が日本酒風で、三人で二本空けたようだ。

 画像は当初レストランの女給の雰囲気のチマ・チョゴリの画像を使うつもりだったが、数日前に使ってしまったので別の物。

 今日の画像は日本食レストランとは関係なく、ホテルのエレベーターかホテル前の電柱などに貼ってあったもの。ハングル文字は何と書いてあるのか全く読めないが、それっぽい店の案内なのだろう。

 

韓国からのメール

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 2001年の韓国出張についてはあまり記憶が残っていない。当時の日記を辿ってみても数行しか書いてなくてあっさりしている。それで当時、出張と言えばノートPCに通信モデムカードを持参して会社との間で電子メールをしていたことを思い出し、その記録も捜してみたが大したことは連絡していなかった。しかし、個人的なメールを我が家との間で交わしていたことを思い出し、過去メールを辿ってみると、こちらに最も詳しく当時の様子が残っていた。

 当時はモデムカードから電話線を繋いでアクセスポイントと呼ばれる電話番号に繋ぐ方式が採られていた。事前に韓国のアクセスポイントも調べておいたのだが、当時使っていたニフティ、およびその国外ローミングサービスを提携していたコンピュサーブにも韓国アクセスポイントは載っていなかった。それで殆ど諦めて韓国に出発したのだが、何故か韓国のホテルでは日本との通信に成功している。ホテルの案内に従って接続したのに違いないのだが、何故成功したのかはもう憶えていない。おそらく日本側では韓国の接続ポイントは有名では無かったのだが、韓国側では日本への接続ポイントはしっかり把握されていたのだろう。画像は以前にも使った当時の通信カード。