1997年は確かアジア通貨危機があって、その引き金となったバーツの暴落があった年だ。旅行時期とバーツ暴落の時期がどちらがどうだったかははっきり記憶していなかったが、かなり旅行代金で得したような気がしたので、バーツ暴落時期のほうが早かった筈だ。円高もどんどん進んでいた時期だったので、毎年、毎年海外旅行がしやすくなっていったように感じる。
当時の資料の中から円をホテルで換金した帳票が出てきたので、今日の画像として載せてみた。
ラグーナ・ビーチ・クラブホテルで我々が案内されたのは、内部で行き来が出来る続き部屋になっている二つのツインとダブルの部屋で目の前にラグーンの環礁が見下ろせる三階建て最上階の部屋だった。
事前に渡された旅行会社の案内にはデンのある部屋と書いてあった。確かその際の説明には、デンとは昼寝をする部屋と書いてあったように思う。部屋には確かに西側と南側が全面はめ込みガラスになっている2畳ほどのスペースがあって、マットレスと背もたれになる三角形のクッションがくっついたような物が置かれていて、確かに昼寝するには最適なスペースに思えた。二面のガラス窓には眩しければロールカーテンのようになった日除けを下すことが出来てプライバシーも適度に保てるようになっている。
デンというのはタイ特有の言葉なのだろうとずっと思っていたのだが、今調べてみると建築とか不動産業での専門用語で隠れ家、密室、巣、巣窟などの意味から、書斎、仕事部屋などのちょっとしたスペースを意味する英語だと判った。
昨日はブログの更新をすっかり忘れていた。なるべく毎日更新するようにしていて、何処かへ出掛けていて物理的に更新が出来ない日はあったが、忘れていて更新し損なったのは初めてのことだ。
タイへ行くのは三度目だった。最初の1993年はタイ航空。二度目の1995年は米国のユナイテッド航空。そしてこの回の1997年は成田、バンコクまでがユナイテッドで、バンコクから乗り換えてのプーケットまでがタイ航空だったようだ。当時の日記を読み返してみると、ユナイテッドは世界中を網羅している大きな飛行機会社だが、各地で競争が激化しているせいか、サービスの質もそれほどよくなく、アテンダントも素っ気なくて美人が少なかったとある。乗り換えたタイ航空はそれとの比較のせいか、とても愛想がよくて小まめなサービスだったと書かれていた。
1997年の夏のバカンス旅行は通算7回目となるが、選んだのは三度目のタイ、二度目となるプーケットだった。調べてみると、この年から旅行会社としてH.I.Sを使い始めていて、その後はずっとH.I.Sのお世話になっている。
H.I.Sが格安海外旅行業者として世の中に認知し始めたのは、この頃だったようだ。まだインターネットが世の中にさほど普及していない時代で、おそらくはH.I.Sの店舗を訪れて、こういう旅行をしたいと告げてツアーを捜して貰ったのだろう。プーケットはこちらから指定したのだと思うのだが、旅行会社が進めてくれたのは、ラグーナ・ビーチ・クラブというホテルだった。何処にあったのかは思い出せなかったのだが、当時のホテルの資料が出てきて、以前に行ったケープ・パンワが空港から最も遠い南端だったのに対し、ラグーナ・ビーチ・クラブは空港にかなり近い西側の海岸沿いだったようだ。