昨日は小松から出て粟津(あわづ)を過ぎ、動橋(いぶりはし)まで到達した。
前日紹介したイタリア人神父が居たのは、私が高校2年の時に我が街に新しく出来た教会だった。それまでは電車で4つ先の駅まで日曜ごとに教会へ通っていたのだ。
我が街に出来た新しい教会へ行くと、すぐに青年会へ誘われる。属していたのは、殆ど自分より年上の二十歳前後の青年たちだった。その時のリーダーは上智大学の学生だった人だ。牛を飼っているような田舎の農家の三男坊で、いつもは実家で農作物を出荷するのに使っていた軽ワゴン車に乗ってきていた。日曜は農業も休みで、家の車が空いていたからだろう。それがマツダ・ポーターだった。ウォッシャー液を出すのが電動ではなく、ゴム製の風船のようなもので出来たボタンだったのがとてもユニークだった。青年会の大人たちに交じってあちこちへ繰り出すのに、よく乗せて貰っていた。