昨日は越中宮崎を出て、泊(とまり)を過ぎ、入善(にゅうぜん)までやってきた。
エンジン系からシャシー系に移って、変わった事のひとつに扱うCPUがモトローラが基本設計を行った68系という8ビットマシンからH8と呼ばれる日本で基本設計を行った16ビットマシンに変わったことだ。80年代までは日本の半導体業界は欧米のもののコピーをやっと作っていた時代だ。それが90年代になると、日本が世界の半導体業界のリーダー的地位を得るようになる。
80年代までは自動車会社が自前のプログラマーを抱えて自社でプログラムを書くというのが普通だったが、90年代に入ってからは自動車会社はこう動かして欲しいという仕様書を書くだけで、プログラミングは電子機器専門メーカーがプログラマーを抱えて行うという時代になる。H8では、アセンブリ言語で書かれたソースリストや、機械語リストなど80年代には極身近にあったものに触れる機会がなくなってしまった。