昨日は更に進んで岡崎の一歩手前まで到達した。岡崎と言えば、10年ほど前に
しょっちゅう通っていたM社岡崎工場があった。当時は多い時は月に数度のペース
で行き来していたので、三河安城の新幹線駅からタクシーで向かうルートも地図を
みれば、すらすらと諳らで示せたものだ。しかし今となってはどこをどう通って行
ったのか、さっぱりわからない。岡崎城の近くにホテルを取って、ローカルな私鉄
にのって行ったこともあるし、車を自分で運転して行ったこともある。しかしどの
ルートも今は全く思い出せない。
M社と言えば、岡崎工場から少し離れたところにある嘗て名航と呼ばれていた大
江工場がある。ゼロ戦が嘗て製造されていた工場である。写真はしかしそこの物で
はなく、靖国神社境内の記念館に飾られているものだ。大人になるまでプラモデル
でしかみたことがなかった代物だ。我々の子供の頃の漫画雑誌には毎号のように、
出てきた戦闘機であるが、世の中から忘れ去られてきた。それが漸くこの1年の間
同じくゼロ戦を作っていた中島飛行機に由来するN社荻窪工場にも行ったことが
ある。聞いた話では設計室の壁にゼロ戦の設計図が掲げられていたというのだが、
惜しいことにみる機会はなかった。