日本から行った三人だけで試行錯誤しながら地下鉄に乗って出掛けたのはチャガルチという魚市場などがある漁港だった。ロッテ百貨店の地下にはトレビの泉のパクリがあったが、こちらチャガルチの映画街にはロスのチャイニーズシアターのパクリである手形の歩道などがあるそうだ。
漁港もなかなか面白く、道端に魚や貝、蛸、烏賊、蟹などが並べてあって、そのすぐ後ろにはそれらをそのまま調理して出してくれる食堂のような店が並んでいる。あまり清潔そうではないが美味しいものが食べれそうな予感はあった。
日本から行った三人だけで試行錯誤しながら地下鉄に乗って出掛けたのはチャガルチという魚市場などがある漁港だった。ロッテ百貨店の地下にはトレビの泉のパクリがあったが、こちらチャガルチの映画街にはロスのチャイニーズシアターのパクリである手形の歩道などがあるそうだ。
漁港もなかなか面白く、道端に魚や貝、蛸、烏賊、蟹などが並べてあって、そのすぐ後ろにはそれらをそのまま調理して出してくれる食堂のような店が並んでいる。あまり清潔そうではないが美味しいものが食べれそうな予感はあった。
釜山の地下鉄駅から地下鉄に乗ってチャガルチという漁港まで行ってみようということになる。切符売場の案内などは殆どハングル語で何が書いてあるのかさっぱりわからない。パリのフランス語でもローマのイタリア語でもアルファベットならかろうじて読めるので見当はつくが、ハングル文字はさっぱり読めない。しかし頭上の路線案内図にはハングルの他に漢字が併記されていたので、読めはしないが何となく見当は付く。それだけを頼りにおそるおそる地下鉄に乗ってみたのだった。
前日記載した韓国で買ったCDだが、聴いてみるとそれほど悪くはなかった。男性歌手と女性歌手が半々ぐらいで、現地のY氏にこういうCDを買ったと見せると、これは有名な韓国の歌手で、入っているのは有名な韓国のヒットソングばかりですと教えてくれた。
当時はまだ冬のソナタも韓国でさえ放映前で、日本には勿論韓流ブームも起こっていない。私が唯一知っていた韓国出身女優はその年の初めぐらいに観た「もう一度キス」というドラマに出ていたユンソナだけだ。購入したCDのカバーガールはユンソナに似ていなくもない。しかしこのCDの方は帰国した数箇月に数回聴いたきりだった。
ロッテ百貨店の地下は地下鉄へと続く地下街に繋がっていた。地下街にはローマのトレビの泉をパクッた噴水があり、その周りを多くの韓国人たちがたむろしていた。
二度目となる韓国出張の初日、現地案内人のY氏が実家に帰ってしまった後、日本からの出張組三人だけで釜山の街の観光に出ることにする。まずはタクシーを使ってロッテ免税品店へ向かう。ロッテが経営するデパートで、内部に一部、免税品店になっているコーナーがあるだけで、正式名称は判らない。ロッテホテルも建物に付随しているようだった。
私は免税品店で特に欲しいものがある訳ではないので、二人とは別れてひとりで店内各階をぐるっと観て廻り、最上階にCDショップがあるのを見つけて現地の歌が沢山入っているらしいCD2枚組セットを購入する。勿論ハングル語しか書いてないので、どんなものかは帰って聴いてみるまで判らない賭けのようなものだった。
二回目となる韓国出張は3泊4日だったようだ。しかも初日は前泊となる日曜日の日本出発だった。我々を空港まで迎えに来てくれた現地駐在所の韓国人Y氏は元々釜山出身の人だった。しかしその当時の勤め先はソウル郊外の水源だったので、実家帰りを画策して我々の空港ピックアップに志願し、我々をホテルに送るや否や、実家に寄って来るからと姿を消してしまった。
ソウルはおろか、釜山も全く土地勘が無いので、街のどの辺りに居たのかもわからない。パラゴンという名のホテルの部屋はかなり高層階だったようで、ホテルの窓から撮った写真が二枚残っている。古びた街並みと最新式の超高層ビルがごっちゃに存在していて、独特の雰囲気を醸している。色はあるのだが、全体として何処かモノトーンの印象しか残っていない。パラゴンホテルには二泊して、水源に移動することになる。
(左:H社海外営業Y氏 右:当社営業H氏)
前回の韓国出張ではH社の開発の人1名とH社の海外営業の人1名と私の三人組だったが、今回は開発関係は私一人で、前回のK氏とは別の海外営業のY氏に私と同じ会社の営業のH氏という三人の組合せとなった。Y氏も当方のH氏も海外はかなり慣れていて、私が気を遣うことはあまりない。しかもH社の現地駐在所勤務の韓国人のY氏も案内兼通訳として同行してくれることになり、何の心配もいらないお気楽なツアーでもあった。日本航空の釜山行きの便を降りると、すでに現地のYさんが空港で待っていて、タクシーで釜山市内にあるホテルパラゴンというところへ連れていってくれた。
(韓国人のY氏)
2月のとても寒い中、初めての韓国を出張で訪れた後、次に廻ってきたのが今度は真夏、7月の韓国出張だった。
ルノーサムスンとの新型車立上げのプロジェクトも大分進んできていて、この時の出張では完成車両の検査装置の詰めだったように思う。最初に朝鮮半島南側に位置する釜山(プサン)の車両工場を訪れ、その後前回も行ったソウル郊外水源にあるRSMのテクニカルセンタを訪れたのだった。
当時の記録を見ると、往きも帰りも日本航空を使っているとある。しかし私が所蔵している大量の機内誌の中には2001年7月号のKOREAN AIRの機内誌があるので変だなと思っていたのだが、よくよく考えてみると釜山からソウルへ行くのは韓国の国内便だった筈で、この時KOREAN AIRを使ったのだろう。