norimakihayateの日記

バーチャル旅日記からスタート。現在は私の国内旅行史に特化しています。

マルセイユ到着

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 マルセイユまでの道は結構単調だった。麦畑にポプラや糸杉の防風林が所々に一列になって植わっているのが典型的な眺めだ。ときどき桃や杏の果樹園、そして葡萄畑などに変わるくらいだ。

 

 低い丘があって、その峠を越えるとマルセイユが見えてくる。その直前に海のようなものがあり、海だと叫ぶと、運転手は「いや、あれは沼だ。」と言ったみたいだった。

 そして緩やかな坂をおりながらだんだんマルセイユの街に近づいていった。

 

 正確にはマルセイユの旧市街というべきなのだろう。写真などで見知った風景が徐々に近づいてくる。何と言っても、丘の上にたつノートルダムドラガールが典型的なマルセイユの写真で、それに海とヨットを加えたものがマルセイユの景色の絵の定番だ。そしてその風景がその時私たちの目の前にあった。

 旧市街(オールドポートと運転手は言っていた)に入ると、港を抜けてまずノートルダムドラガールに登るという。ポートを通り過ぎるとき、昼の参考にと、ブイヤベースを食べさせたら1番と2番の店というのを教えてもらう。

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 ノートルダムへの坂道は結構長かった。ここを歩いて登っていたとしたら相当大変だったろうと、改めてハイヤーにして良かったと思う。

 ノートルダムは鐘楼が修理中であったので、外からみた景観は今一つであったが、マルセイユの街の守護の聖母マリアは、その金色の姿を見せてくれていた。古くからのメル友の一人が事前に感想を述べていたほどは、下品には見えない。アビニョンでもパリででもこの金色の像を見慣れていたせいかもしれない。

 

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マルセイユまでの道のり

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 前日と同じハイヤーの運転手がやってきて、車に乗り込むなりこちらの巡回案を説明する。私の案は、まずアルルへ行ってコロシアムだけ見て、その後カマルグ付近を通ってマルセイユへ向かい、その後エクソンプロヴァンスへ行って帰ってくるというもの。しかし運転手はアルルとマルセイユは反対方向になるので時間的には無理だという。それでアルルは諦めることになる。マルセイユでブイヤベースで昼食にしたいと言うと、勿論とばかりに頷いていた。

 マルセイユへ出る途中、運転手が何かを思い出した風でちょっと寄り道をしようと言う。丘の上の住宅地を抜け、とある路地で車を停め門から少し見える邸宅を指さして「誰の家だと思う?」と訊く。それはF-1レーサー、アレジと後藤久美子が結婚して棲んでいる邸宅だった。フランス人の運転手も自慢だったようだ。

 

オテル クロワトル・サンルイの待合ホール

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 南仏三日目はホテル、クロワートル・サンルイからすぐ隣の三ツ星ホテル、ブリストルへ移る日だ。その日、マルセイユなどを巡るハイヤーは余裕を見て10時に頼んでいた。現金の手持ちが少なくなってきたので、ホテルで換金しようとするが、クロワートルでは両替が出来なくて、銀行か隣のブリストルホテルを薦められる。それで朝食前にチェックインがてらブリストルホテルで両替をしてくることにする。チェックインも両替もすぐに出来て、後はハイヤーで出発前に荷物を運びこむだけとなる。

 クロワートルに戻って朝食を取った後、レセプションというフロント傍の待合ホールでハイヤーを待つことになる。待合ホールと言っても、ちょっと広めの廊下の角にソファがしつらえてあるだけだ。中世の時代は修道士らが僧服に身を固めて行列をしたのだろう。新聞が幾つか置いてあって、娘は気になっていた2002年日韓合同開催のサッカーワールドカップの結果を見る。丁度鼻を骨折してバットマンのような保護具を付けた日本チームキャプテンの宮本恒晴の写真が載っていて、フランス語なので読めないが日本が敗退したことを告げていた。娘はその新聞を記念に持って帰ると言っていた。

 

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オテル・クロワートル・サンルイのプール

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 レ・ボーからクロワートル・サンルイホテルに帰ってきたのは4時頃だった。初夏の南仏は日が翳るのが遅い。4時でもまだ陽は高かった。息子がホテルのプールで泳ぎたいと言い出した。私がこっそり水着を持ってきていたのを知っていたのだ。持参していたのは競泳用のタイトな物だったので、息子でも着用出来なくはない。それで独りでは心配なので一緒に付いていくことになる。建て増しされた新館の屋上にあったプールは結構深さもあった。プールの周りにはパラソルが幾つも開いていて、フランス人らしき女性が日光浴をしている。さすがに泳いでいる人は皆無だった。暫く息子がスイミングを愉しむのに付き合って、危険は無さそうだったので、あまり遅くならないようにと注意してホテルの部屋へ退散したのだった。

 今日の画像はつい最近のクロワートル・サンルイホテルのHPからのもの。15年ほどあれから経っているが、雰囲気はさほど変わっていなかった。

 

レ・ボーからの帰り道

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 レ・ボーの壮観な景色を堪能して午後3時頃レ・ボーを後にすることになる。レ・ボーの意味だが、レは定冠詞でボーは切り立った丘の形状を表す古い言葉が変化して出来た固有名詞らしい。ちなみにグーグルの翻訳でBAUXと引いてみると英語ではLEASE、日本語ではリースと出て何の事か判らない。アルミ原石のボーキサイトのボーはこの地名から出来た言葉だそうで、この地のアルミ鉱石は既に採りつくされているそうだ。

 帰りのハイヤーの中で運転手から翌日の予定を聞かれたので、電車でマルセイユとエクソンプロヴァンスを廻るつもりだと答えると、南仏は電車は不便なので翌日もチャーターしたらどうかと提案される。元々こちらからも訊いてみるつもりだったので、翌日も頼むことにする。

 往きだったか帰りだったか忘れたが、途中で別の車から無理な割込みをされた際に、メルセデスの衝突警報が鳴ってびっくりした。車庫入れの際などで壁際になると鳴る警報機能だ。今では極普通に車に搭載されている昨日だが、2002年の時点で既にメルセデスには搭載されていたことと同時に、走っていてこれが鳴るほど他の車に接近されたのだということの両方に驚いたのを憶えている。

 

レ・ボー・ド・プロバンス 2

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 ポン・デュ・ガールからレボーまでは約1時間ほどだった。着くまで、車で結構登るのに驚いた。最後の最後、絶壁のところだけ登るのだろうと思っていたが、丘自身が結構高いところにあるらしい。

 途中で景色が変わるからと運転手が言っていたとおり、あるカーブを曲がると突然、穏やかなハーブの生えていた緑の山道が、険しい石灰岩の岩肌があちこちに見える山肌に変わる。まもなく、ちょっと遠くにレボーの街が見え出した。

 車で行ける一番頂上まで登って、運転手はその辺で待っているからというので、3時にここでと待ち合わせて、出掛ける。1時半くらいにはなっており、もう1時間半ほどしかない。

 下のほうは、お土産屋などが続き、大山の昇り口を洋風にしたような感じの石の家々が続く。とにかく暑く日差しが強く、まわりが全て白く見える。

 が、僕は時間内に見て回れるかのほうが気になって、気がせいてどんどん登ってゆく。

 やがて、入場料を取る入り口のようなところにでて、列に並ぶ。やっとのことで、切符を買い、薄暗い堂内から日差しの強いレボーの頂上の平らな部分へ出る。最初のところに墓跡らしきものがあり、それを抜けたところに広く続く頂上の平原の始まりのところに出る。

 時刻は1時半過ぎで、まず腹ごしらえをしたほうがいいだろうと、壁に面した木陰の石のベンチに席を取り、持ってきた昼食をまず食べようと提案する午前中にアヴィニョンの市場で買ってきたサンドイッチ等の包みを開く。猛暑の中で、みんな食欲も無かったみたいだったが、食べ出すと意外と空腹感も感じてきたみたいだった。今朝、市場で買ったオレンジと桃が気温で腐り始める直前の熟れ方をしていて、食べると丁度いい具合だったようだ。僕はフランスパンのサンドイッチとオレンジを半分位貰う。オレンジが意外と美味しかった。

 そして食べ終わると、いざ出陣とばかりに頂上の平原を巡る。一応順路がある様子で、低いほうから順に回ってゆく。まわりに手摺りがあって、そこから下を見ると、聞いたいた以上の断崖が下に広がっているのが見える。眺めは快晴の為もあって、相当遠くまで見渡せる。順番にぐるりと周囲をまわってゆく。

 途中、ちょっと坂を下るところがあって、他の皆は通り過ぎてしまったみたいだったが、降りてみると、牢獄のような檻のある部屋がある。

 その後はクライマックスのようなレボーの丘の中でも更に高い頂きが幾つか続き、それをひとつひとつ頂上まで登る。最後のほうは私と息子だけになって、ふうふう云いながらひとつひとつ頂上を極めていく。

 息子も相当きつかったと思うが、私になんとか付いて来た。それだけに頂上を極めた感慨は強かったのだろう。息子に頂上を征服した私の感激をビデオに撮ってもらったのが次の画像だ。

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レ・ボー・ド・プロバンス

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 ポン・デュ・ガールに着いたのは12時5分過ぎで、運転手は40分もあれば十分見学出来るというので12時45分に戻ってくる約束をする。しかし30分ほど超過したので途中で駐車場の運転手にもう少し待ってくれと言いに行く。出発前に暑くて喉が渇いたので売店でコーラを買うことにする。売り子の女性が「大きいの?小さいの?」と訊くので大きい方と頼むと、何と500MLもあった。小さいほうでも350MLはあったようだ。最後は呑み切れず車に乗り込む前に捨てることになる。

 そしてこの旅最大の目的地のもうひとつ、レ・ボー・ド・プロバンスへ向けて出発する。レ・ボーは先にも触れているが、切り立った断崖絶壁で囲まれた自然の丘を利用して建てられた城塞の跡地だ。城塞そのものは既に破壊されてほんの少し壁などが残っているようだった。南米のマチュピチュをちょっと小規模にしたような感じで、まさに天空の城みたいだ。

 荒涼とした田舎の寂れた場所を想像していたのだが、入口となるゲート前の坂道は江の島の入り口みたいに駐車場、お土産屋等の売店などが密集していて、観光客で溢れていた。